ザ・プロファイラー「憎しみを乗り越える道~マンデラ・差別と闘い続けた男〜」

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この番組のまとめ

人類の理想を夢みて苦難に挑み続けた男 ネルソン・マンデラ。 マンデラは釈放されてすぐにインドネシアを訪問した時にマンデラが育ったのは古き良き アフリカの伝統が続く村。 続いて…マンデラたちが考える南アフリカの理想をまとめた宣言書です。 最後に…長い服役中に マンデラが得た差別撤廃への ヒントとは?では早速1つ目の鍵にまいりましょう。 アフリカの伝統が続く村での生活は若き日のマンデラに何をもたらしたのか。 しかし マンデラは南アフリカの現実を目の当たりにする。

民主主義なんですけれども世界中で 民主主義っていうのは普遍的な原理なんですがアフリカの伝統的な社会の農村社会の民主主義というのは全ての人の意見を指導者は じっくり聞く。 そして とことん みんなが納得するところまで議論をしてそこで指導者は「じゃあ これでいこう」とマンデラは小さい時から このやり方がすごく 自分のスタイルとして身についていたという事はあるんじゃないかと思いますね。

私が南アフリカに行って驚いたのはヨハネスブルクの黒人居住区っていうのはヨハネスブルクのダウンタウンから40分ぐらい離れた所だったんですよ。 胸にビンと伝わってくるのは…この1行は アパルトヘイトで土地を奪われたって人たちのこれは すごい やっぱり教育は とても大切と思います。 白人と一緒に アパルトヘイトをやっつけるのは なまぬるい。 マンデラは 恐らくその辺りも意識してやはり 私たちの運動の中心は黒人だ アフリカ人だというのを言いたかったという事もあるでしょうし。

マンデラは アフリカーンス語の読み書きが苦手でした。 私は 彼が書いた作文を知り合いの高校の先生に添削してもらいそれを マンデラが復習しました。 それは マンデラが獄中で見いだした差別との新しい闘い方だった。 マンデラは国内外で反アパルトヘイトのシンボルとなっていった。 一方で象徴的な存在になっていたマンデラの解放運動も起きていました。 だから 我々は経済制裁をやめさせるために早く マンデラを釈放すべきだと考えたのです。 マンデラが 71歳で釈放されたのだ。

さて 釈放されたマンデラは人種差別の完全撤廃に向けて何をしていったのでしょうか。 マンデラは圧倒的な支持を得て黒人として初めて南アフリカの大統領となった。 オランダと イギリスの国旗にある赤 白 青と憎しみを乗り越え白人を許す事はできるのか?マンデラが設置した 真実和解委員会。