女の一生をつむぐ~追悼・宮尾登美子さん〜

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この番組のまとめ

林さんは 去年の暮れに宮尾さんの訃報を聞かれてどのように思われましたか?非常に ショックでしたのと私が 先生に 伝記を書かせて頂くお約束してまして宮尾さんから託されていたというところも あるんですか?「林さんだったら何でも話すからね」って事でいろいろ心積もりしていたんですけれども。 宮尾先生がお召しになったお着物だと思うんですけれども。 林さんもそうだと思うんですけど宮尾先生 非常に 物離れというかきっぷのいい方で…。

ほとんど 映像化演劇となってますけどお芝居とか…。 彼女に… 篤姫さんという彼女に出会ってなかったら何か…きっと 彼女に出会ったから「女の道は一本道」とか「一方聞いて 沙汰するな」とか何か いい言葉をたくさん頂いたのでそれが 今の自分につながっているなっていうのはすごく思います。 宮尾さんの原作の作品というのもこれだけ たくさん映像化されているんですよね。

この佐穂さんというのは主人公 烈の叔母さん?気が付かなかったんですけれども私 「藏」をやってからいろいろ 宮尾先生のものを読み始めましたのでいろいろ 読み込んでいくと先生の この生涯というかお小さい頃も養母を お母さんと思ってず~っと すごく懐いていたという事があったんだな。 中でも お父様のお仕事ですね芸妓娼妓紹介業。 だから宮尾先生が書くものの中で私は自分のお母さんが 育ての親が本当のお母さんだと思う。

飢えや死の恐怖と闘い難民収容所を転々とする平成10年 宮尾さんは旧満州 今の中国東北部をこの満州体験だったんですね。 これを きっかけに満州体験を きっかけに作家になってよかったとやっぱり 今 思います改めて思います。 これからもね この体験を基にして自分で ぎりぎりの限界まで書いていきたいと思うんですけどもやっぱり そういう面ではこの戦争の体験というものをやっぱり これから忘れないで私の非常に貴重な体験としてねお読みになって この 宮尾さんと満州の経験というものを怖かったと思いますよ。

宮尾さんは よく ご自身がご自身の日記の一番の愛読者であると。 違うかな?もちろん 書きたいという気持ちもあれかと思いますが1反以上の田んぼの草取りとかというのは…。 1反以上の田んぼの草取り。 大変ですもんね1反以上の田んぼの草取り。 作家って 日記に そんな本当の事なんて書かないと思う…。 だから そうやって文句言わないで ずっといるといろいろ たまってきてしまうんでしょうけども日記にいろんな事を書いていらしたのでそれが ある意味のカタルシス浄化になってたんではないかまた こちら ご覧頂きましょう。

2番目の娘さんが生まれてそのあとも やはり 農村で保育士ですとか また社会福祉関係の仕事をしていろいろと なんとか小説家になろうというふうに頑張っていらっしゃいました。 終戦から17年がたちました昭和37年宮尾さんの小説というのがついに日の目を見る事になりました。 昭和37年 農家の嫁として暮らしていた宮尾さんは短編小説「連」が 女流新人賞を取ったという知らせを受けます。 そうして書いたのが初めての自伝小説「櫂」です。 たとえ 作家を諦める事になったとしても小説を書き続ける。

小説を書きましょうってそういうのが間違いだったっておっしゃるけども自分に立ち返って 一番自分が書きたくない事を書いてみよう自分の生い立ちを書いてみようって思われた自分の生涯も 整理できていったんじゃないかなというふうに思ってますけどもね。 これだけの大作家でこれだけの寡作なんて普通は ありえないんですがいかに一作に丁寧に丁寧に 時間をかけてたかという事だと思いますね。

私は作品読んで思うんですけども私たち 女の近代っていうのはうちを捨てたり男の人と逃げる事が 女の人の新しい道だと思ってたんですが宮尾作品って うちを捨てたり両親を捨てたものって伝記的なものは別としてないんですよね。 みんな その しがらみの中で一生懸命もがいて自分の美意識を貫こうとしている女の人たちばっかりなんです。

さあ これからは檀さんが出演されました宮尾さん原作のドラマ「藏」をご覧頂きたいと思うんですけれどもこの「藏」 檀さんにとってはどんな作品ですか?私ね 先生に烈というね 目が不自由になってしまう女の子でも 頑張って生き抜くというその子が ヒロインで宮尾先生に初めて お会いした時に「先生 もう 久々 日本に現れたすごいヒロインですね」って私は 佐穂の役をやるのに烈の事を申し上げたら先生が 「檀さん でもね女優さんは みんな佐穂さん やりたがるのよ」っておっしゃって「あっ 失礼致しました」って申し上げましたけれ

ともかく おらは 器量よしよりいっぺえ 子どもを産んでこの田乃内家を にぎやかにしてくれるような嫁がいいの。 佐穂を見てもらえますども新発田では 娘を 誰かれ構わず見せると思われるのも困るんらわのう…。 あの… 佐穂様と言われましたのう?言う事なしだいねえ。 どんげな事でやすか?そちらさんが 佐穂にほれ込んできたと言うすけ佐穂に会わせたんでねえかね!いえのう 私が嫁に欲しいがんは姉の賀穂様の方で…。 賀穂様を 一目見て意造の嫁には ほかにはねえと。

あれっ オヤジ 来てねえかね?三左衛門様~!旦那様〜!父っつぁま!生き返ってくんなせえ!とっつぁま! とっつぁま!待っててな。 へえ!♪「枝もナーエ」その年の秋両家の婚礼は行われた♪「葉もしげるヨー」日露戦争の影響で いささか控えめとはいうものの翌年賀穂は 最初の子を出産したが死産だった生まれた赤子たちは次々に死んでいった田乃内家に嫁いでから15年の間に賀穂は8人の子どもを みごもったがそのほとんどが流産あるいは死産。

烈 でかしたのう!ほらほら こっちだよ!よう歩いた 歩いた!この時以来 佐穂は 田乃内家にはなくてはならぬ人となった♪「こんこ」♪「こんこん」こんこん?♪「霰やとんと」♪「霰やこんこ」♪「元旦や 鶴の声するあの井戸車」旦那様 明けましておめでとうございます!おめでとうございます。 叔母様がいねえと夜が おっかねえ!鬼が出てくるし幽霊も出てくるしそら怖え 怖え!おつまのバカ! バカタレ!烈様は 聞かん気のくせにな~してか 夜だけは臆病になんなさるわのう。