金曜eye「単身高齢社会 “ひとり死”への備え あなたは」

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この番組のまとめ

その数はことし600万人を超え今や高齢世帯の3割以上が単身世帯なのです。 人生の最期をどう迎えたいかをあらかじめ自分自身で決めひとり死への備えを手伝うNPO。 単身の高齢世帯が増えている中でまさに冒頭、ご覧いただいたドラマと同じような不安を抱いていらっしゃる方も多いかとは思います。 例えば、家で亡くなりたいのか病院で亡くなりたいのか延命治療は受けますかお墓はどうしますかということをあらかじめ自分自身で決めてしかも、それを誰に託すかまで準備してから亡くなることです。

生涯独身で電気関係の会社に勤めスタッフは吉川さんの契約書を確認しながら手続きに必要な書類を探します。 吉川さんが親族以外に自分の死を知らせてほしいとしていた所がありました。 ハイキングクラブの友人たちです。 単身高齢者の暮らしにお詳しい第一生命経済研究所の小谷みどりさんです。

NPO法人がやるサービスもいろいろありまして、亡くなる前の問題を不安に感じている。 そういう問題に非常に関心を、不安を持ってらっしゃる方、あるいは、亡くなったあとの問題にすごく不安を持ってらっしゃる人、さまざまですけれども、トータルで、やっぱり全部お願いするとなると、100万円近くはかかります。 その準備でいうと、どういうものをNPO、例えば、頼めばやってもらえるのか、ちょっと一覧にしてみました。

これをやってくれる人がいない場合に、やっぱりNPOのような、家族以外の人たちにお願いをしなきゃいけない人たちが出てきたっていうことですよね。 遺品整理業の方と契約をすればいいわけですよね、100万円かからない。 実は、ここまで、ひとり暮らしで、家族がいない場合にどうしたらいいのか、NPOっていう手もあるということを見てきましたが、実は、このひとり死への備えというのは家族がいる人の間にも今、広がっているんですね。 終末期の延命治療について。

だけど、自分のこととして、監督は考えられます?まあ、自分のこととして考えると、僕も、だから、なるべく迷惑をかけないようと思うから、そういうことをやりたいと思うんですけど、でも、一方、死ぬときは誰でも死ぬんだから、死んだあと迷惑かけてもいいじゃない、もう一生懸命生きてきて、そういう迷惑は、別にかけられても、別に。 死ぬってことは、死ぬんだけど、死亡届を出すということは、これ、社会のシステムの中の手続きを完了させるってことじゃないですか。

だから、やっぱり、しがらみを放棄して、核家族化進んできたけど、いざ自分が自立できなくなったときに、さあ、大変。 私がみとって、ちょうど家族が寝てて、私がその場にいたっていう、その親友の。 そうなんだけど、そうなんだけど!そういうことを自覚すると、だから、でも人はひとりで生きていけないでしょう、だから、生きてるときに、いろんなコミュニティーだったり、友達だったり、夫婦だったり、今だったら、地域の集まりとか、そういう所に行くわけですよ。

もちろんNPOと契約した方は、きちんとやらないといけないわけですけど、でも、本当にやってくれるかどうかということが大事なんではなくて、この人に託して安心だと思えることが、やっぱり死んでいく人にとって大切なんじゃないかなと思います。 周防さんは、どこで亡くなりたい?場所より、お医者さん、要するに社会的な死の問題ですけど、ちゃんと死亡という、死亡ときちんと判断してくれる人がいる所で死なないと。

大野さんが70年間暮らした自宅。 早くに夫を亡くしましたが裁縫の仕事をしながら大野さんの暮らしは医師や看護師、介護ヘルパーなどさまざまな専門職が連携して支えています。 周防さんは、自宅でも病院でも、お医者さんが来てくださるところって、ある意味、理想、どうですか?近いんですか?そこまでやっていただけたら。

病院は手術とか高度医療にはいいんですけれども、穏やかに安心される、先ほどのテレビのおばあちゃんもですね、また一つ、安心が増えた。 だから病院で亡くなりたい、自宅で亡くなりたいっていうときに、行政として、それがサポートできるような体制をやっぱりどう作るかですよね。

僕たちは、病院と家とを知ってるものですから、この程度だったら、病院でも当然もっと苦しむか、同じくらい苦しまれると思っても、でもやっぱり自宅で苦しまれると、入院される人が多いです。 ということは、病院と自宅でできる、お医者さんが来てくれるケースと、半々ぐらいに本当はなってくれないと、希望はかなわないわけで、そのぐらいまで、どうでしょう?増える可能性はあるんでしょうか?どうでしょう、これは。

そういう社会、要するに老人ひとりでいて、寂しいと思う人が多かったら、やっぱりどっかでつながりたいっていうのがあるから、別に終活ノートがきっかけではなくても、いろんなことをいろんなことをきっかけに、地域のコミュニティーって生まれるんじゃないのかっていう。