阪神・淡路大震災以来被災者支援の在り方を築いてきた看護師です。 被災者の支援活動を始めます。 黒田裕子さん 最期のメッセージです。 黒田さんは 被災者支援の歴史を作り上げた人だといえます。 4年前 東日本大震災が起きると黒田さんは 翌日には被災地に入りました。 一人一人を見つめてきた黒田さんがたどりついたのは24時間体制で見守る事でした。 この何気ない会の意味についても黒田さんは 看護師たちに言い聞かせてきました。 以上 人類を代表して 黒田さんに感謝状を差し上げます。
准看護師だった黒田さんは仕事に打ち込みながら学校に通い正看護師の国家資格を取ったのは37歳の時でした。 黒田さんは看護師の仕事のかたわら仮設住宅で活動を続けます。 神戸市最大規模 1,800人が暮らす仮設住宅でした。 浜田幸男さんは仮設住宅にいた 3年間知り合いも いませんでした。 このころ 仮設住宅である事が大きな問題になっていました。 この仮設住宅に 独り暮らしのお年寄りだけでも 450人。 仮設住宅の一室で 56歳の男性が「遺体は ミイラ化しており鼻と口からウジ虫が湧いていた。
福祉避難所とは高齢者や障害者など支援を必要とする人のための避難所です。 福祉避難所の中も種類を いろいろ用意しなきゃいけないというのが今の黒田さんの遺言だから。 被災者の多様なニーズに対応できるよう福祉避難所を災害が起きる前から準備しておかなければいけない。 やっぱり 福祉避難所の充実をさせていきたいというのがものすごく強かったと思うんですけれども。 黒田さん 自分の死を通して最期の時は迎える事ができるんだというのを一つのモデルとしてみんなに見てほしかったんじゃないかなと思うんです。