ゲストは指揮者の小澤征爾さんです。 独創的なスタイルでクラシック界に新風をもたらした小澤さん。 ♪~クラシックの本場ヨーロッパではタクトを持った魔術師と呼ばれ若き小澤さんに世界が注目。 うそ~!今は指揮棒を使わず手で指揮をする小澤さん。 何で盗んじゃったんですか?フィラデルフィアのオーマンディさんという先生のデスクを開けたりしていたの指揮棒が、たくさん入っていたの。 使ってみたらすばらしいのフィラデルフィアの先生が特別な人に、作ってもらっていたの。 だから困ったなと思ったんだけど指揮棒なしでやった。
小澤征爾さん用にそうなったんじゃしれませんが、指揮者は何をするのかということでそんな長くしませんから。 指揮者ということなんですけれども僕の勝手なイメージですが映画でいったら、監督さんがいるじゃないですか役者さんがいる。 ずっと休みだったんだけどきのう行ったわけつくづく思ったけどね音楽はやっぱり作曲家が第一なんですよ。 それをこえて僕たちは指揮者はどうやってお客さんの耳に届けるか。 作曲家はそれを何のために書いているかということを読んで実際の音にしてもらうのが僕の役目かなと思うんだけどね。
それで例えばサンフランシスコでやったときはねディズニーの映画漫画を描く人がこれと一緒にやりたいと言って紙芝居みたいなものを大きなものをやってぱんと音楽が変わるわけ。 本番までの間ずっと長い間準備されるんですか?僕の場合は練習に行く前にやるんですよ。 本番前じゃなくて練習前に?練習というか、先の練習のためにその日はまた違う曲をやったりしているから先の勉強をしていたわけ。
それがね、小澤先生ですかとそうよと言ったら何でこんなところに4月から練習して、われわれの最初は男だけ3声だったのがそして女子も入って複雑になってやってくれるキャラバンに行こうとうーん、いやだといったらそしたらシベリアに行こうといったら嫌だと言ってアコーディオンの、伴奏で行ったそしたら日本へ行こうということでやらないわけにいかないから仲間を集めてやったの、そうしたらすばらしいの。
小澤征爾さん、すごくすてきです。 格調高いマエストロというよりも音楽を作る職人という印象を受けました。 死んじゃった兄貴その次の兄貴は元気僕と弟、どういうわけか死んじゃったいちばん上の兄貴がいちばん高い声でその次が2番目で僕が3番目に高い声でだから4重奏ができるの。 もちろんピアノも弾いていたけどそのあと兄貴は美術学校に入り直して彫刻家になった。 小澤さんが海に渡って2年2か月後、1961年ニューヨーク・フィル初来日の映像です。