NHKアーカイブス「戦後70年 東京大空襲はなぜ行われたか」

戻る
【スポンサーリンク】
15:06:20▶

この番組のまとめ

東京大空襲に代表される都市への無差別爆撃にはアメリカ軍の中でも否定的な意見がありました「民間人に戦争を挑む事になる絨毯爆撃はかえって敵の抵抗を強めるおそれがある。 最悪の都市爆撃とされるのが日本の66都市を焼き払った大空襲です。 アメリカ軍は倫理的な葛藤を抱えたまま事実上の無差別爆撃へと踏み切りました。 新たな資料と証言から日本を焦土に変えた都市爆撃の全貌に迫ります。

1922年 この部屋に軍事大国だったイギリスやアメリカ日本など 6か国の代表が集まり無差別爆撃の禁止がはっきりと うたわれていました。 日本軍は 長距離爆撃機による中国都市への空襲を開始します。 日本もドイツも 市民を狙ったものではないと弁明しましたがアメリカをはじめ 世界は無差別爆撃だと激しく非難しました。 44年 夏 サイパンに続いてグアム テニアンを占領したアメリカ軍は新型の長距離爆撃機 B29で11月には日本への直接攻撃を開始する事が決められました。

「ドイツの58都市を絨毯爆撃し2,000万人の家を奪えば市民の士気は挫かれ 戦争は早期決着する」というものでした。 絨毯爆撃の犠牲となったドイツの市民は30万人以上に上りました。 対日戦の早期終結への道を探り爆撃開始を目前にして戦略分析委員会ではこれまで邪道としてきた絨毯爆撃がにわかに現実味を帯びてきました。 「ご意見を伺いたいのですが絨毯爆撃によって「日本人は 確かに並外れて勇敢な側面を持っているがパニックになりやすい。

日本での精密爆撃を軌道に乗せるにはこの直後 空軍内部に異変が起こりました。 日本軍の中国での焼夷弾攻撃などを参考に開発され日本の都市に使用すれば住民の60%を殺傷するという強力兵器でした。 2つの新兵器はワシントンの絨毯爆撃支持者たちを勢いづかせました。 追い詰められたハンセルは12月22日 27日と司令部の指示を無視して精密爆撃を行います。 漢口への焼夷弾攻撃で一気に評価を上げた結果でした。 「日本の都市に対する焼夷弾作戦の詳細は貴官の責任において具体化せよ」。