4年前の 3月11日 東日本大震災の状況を見た時というのはあのように大きなショックを受けたという事はですね岩手の山田町の方へ 炊き出しに行かせてもらったんですけれどがれきの中から 使える物を必死に取り出そうとしているいろんな方々の その姿を目の当たりにした時に初めて言葉を失うって こういう事なんだと かける言葉が出てこなくて。 これは 市町村が津波避難計画を作るに当たっての指針その抜粋です。
したがって 防災行政無線の情報だけではなくてテレビやラジオ あるいは ソーシャルメディアスマートフォン等を通して流れてくるような情報もキャッチできるように準備しておく必要があると思いますね。 こういう 人から人に直接その場で伝わるような働きかけが最後 人を動かすんだなというふうに思いましたので二重三重の情報という事とその一番決め手になるその場での人同士の やりとりですかね。 揺れが大きかったから逃げようと思った という人が最も多かったんですが…防災行政無線などですね。
そうやって 車そのものが動かなくなってしまえば自分の コントロールできないものになるので避難にとっては大変な障害ですし津波の前に 大きな地震が起きているわけですから電柱やビルなどが倒れたりあるいは 液状化などによって道路が通れないそういう危険も やはり車避難には伴うっていう事ですね。 そして 指定避難場所にたどりついたあとでも福島県南相馬市の…鈴木さんは 指定避難場所の高台に避難しましたが津波は そこにも押し寄せてきました。 港地区には 避難場所が3つ指定されていました。
指定避難場所って 安心だと正直思っていたんですけれどもこれまで過去に実際に起きた最大の地震や津波を基に津波の大きさを予想してそれを基にその津波や地震を ベースにした避難場所の指定ですよね。 行政の指定避難所はちょっと遠いから近くにあるビルも 避難場所として使えないかなとか南海トラフ巨大地震で 最大34mの津波が襲うとされた高知県黒潮町。 避難場所に指定されている高台までは850mもの距離があります。