特集 明日へ −支えあおう− 震災から4年 つなげよう

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この番組のまとめ

震災から4年、つなげようをテーマに、ここ、福島県南相馬市から震災からある程度、時間がたってね、先に復興した人はますます元気になっていって、その一方で、私だけがどうしてっていうふうに思われてる方、非常に増えてるよたちに分かってほしいという声も、最近よく聞くようになりましたね。 実は私にとってここの南相馬市というのは、震災のあと、初めてボランティアに入った場所で、今回、私たちがお邪魔している場所なんですけど、南相馬市という所です。

こちらでは今、浅田真央さんが被災地の子どもたちと触れ合うスケート教室が行われています。 今回のスケート教室、真央さんの被災地への4年越しの思いがありました。 真央さんには後ほどお話伺いますが、このスケート教室以外にも、真央さんはことし、被災地を訪ねてさまざまな交流を行ってきました。 浅田真央さんの強い思いで実現した今回の被災地への訪問。 今回、初めて本格的に被災地を訪ねた真央さん。

ありがとう!こちらには、スケート教室を終えたばかりの浅田真央さんに来ていただきました。 まずは初心者のクラスを終えて、一人一人に目を見て、指導されてる様子が印象的だったんですけど、どうでしたか?そうですね、みんな、本当にかわいらしくて、みんな一生懸命頑張ってました。

いや、もう子どもたちのサプライズで、もう、どれだけ、それがうれしかったか、そして、スケートリンクだけじゃなくて、そのあとに学校に訪れて、子どもたちの太鼓、それで私たちを励まして、元気づけてくれていましたけれども、4年たって今、自分にできる時期だから、こうやってわざわざ出向くって、だから、やれるときいましたけれども、その中でも思い出深い出会いがあったそうで、そのときの映像をちょっとご覧いただきたいと思うんですけれども、この写真が、これ、陸前高田の避難所なんですが。

われわれが来ています、こちらの体育館では、今、震災前の町の様子を、被災者の皆さんの記憶をもとに、模型で復元しようという、ふるさとの記憶展が開かれております。 ぜひ皆さんに見ていただきたいのが、福島県南相馬市の小高区の模型なんです。 というのも、きょう私たちがお邪魔している小学校の子どもたちが、かつて通っていた小高小学校が。 模型で再現されてるの、分かりますか?中央のグレーの屋根だそうです。 さあ、あちらにちょっと、また行きたいんですけど、宮城県気仙沼。 気仙沼ですよ。 内湾ですね、気仙沼のね。

やっぱりこう、模型を見ると、当時のことっていうのは鮮明に思い出しますね。 さあ、本当にね、こうした、まさに模型。 建築を学ぶ学生たちが全国から集まって、津波や地震によって被害を受けた町の大型模型を作ります。 公園の名前とかってあるんですか?東山公園。 東山公園。 でも、模型を見ると、昔の記憶がよみがえってきます。 色づいた模型には本当に、そこに住んでいた人々の大切な暮らしの記憶が刻まれているんです。

ちょっと地図をご覧いただきたいと思うんですが、原発事故の影響で、政府が避難指示を出している区域というのは、放射線量によって3つに分かれています。 そして緑が、避難指示解除準備区域、その名のとおり、この緑の区域のほうに、早く住民の方が帰ってくるということを目指して、ここを優先に住宅の除染などが進められているということなんです。 もうVTRいく?これが震災前の南相馬市小高区なんです。 そして、原発事故による放射性物質の影響で、地域全体が避難指示区域に指定されています。

今回の避難指示解除なんですが、これは国が行う除染などが、そうですよね。 今、先ほどのVTRにもありましたけども、お年寄りのさっきのお母さん方は、高齢者の方ですけども、医療機関や介護施設がどの程度、ないと、やっぱり戻りたくても戻れないですね。 の暮らしも、皆さん懐かしいし、そのとき、支えてもらえたし、そこから今度は仮設に移って、新たなコミュニティーが今あるんですよね。 やっぱり新しい場所で溶け込んで、人間関係作る、そのエネルギーってかなり必要ですものね。

火の祭りは、相馬野馬追っていうお祭りがあるんですけど、そのときに、騎馬武者が帰ってくるときに、住民の皆さんが、ちょうちんとか。 ちょうど季節は梅雨明けの7月、相馬野馬追でまさに地元が沸くころ、祭りの2日目の夜、今、お話も頂きましたが、舞台が、もう青々とした田んぼの土手が舞台なんですよね。 昼間の野馬追の様子と一変してね、またなんかこう、本当に心が落ち着くような、もう本当に幻想的な。 これはやっぱり代々、女性が作るんですか?そうですね、婦人会って、婦人会って、連合婦人会と。 連合婦人会と。

じゃあ若い方々はどういうふうにこの町のことを思ってらっしゃる松本愛希さんにお越しいただきました。 松本さんは、この模型展ではたくさんの思い出の旗を母校に立てていらっしゃいましたよね。 中央部分、灰色の所が商業高校ですよね。 松本さんにとって最も大切な思い出だというのが、母校、小高商業高校での部活動だったんですね?そうですね。 私の入ってた部活の商業研究部も、地元活性化する部活でしたね。 その名も、商業研究部。 松本さんに本当にふるさとのよさを教えてくれた、だいこんかりんとうの活動でした。

これは?南相馬市の特産品の黄色いハートかぼちゃというかぼちゃを使用して作った、かぼちゃまんじゅうです。 あそこの青い建物、屋根の建物ですけど、小高中学校ですね。 小高中学校?はい。 どういう思い出があるんですか?やっぱり卒業式の日に、やっぱ震災に遭ってしまったので、卒業式って、すごいめでたい日じゃないですか。 でもね、中学を卒業したときに、震災に遭ったっていうことは、商業高校、ここ、原発の事故もありましたので、いることができなかった。 別の所に、移動した所の商業高校に通われたということなんですよね。

あっ、これは海水浴場ですか?そうですね、海でよく、幼稚園のころから小学校にかけて、親とか、あとは友達とよく、遊びに来てましたね。 模型として見ると、改めて、どんな気持ちになりますか?そうですね、やっぱり津波の被害がもちろんあったので、今はもう、入ることができないんですけど、こういうふうに、小さくても模型で再現されてると、やっぱり思い出もよみがえりますね。 商業研究部の活動も頑張ってと、お子さんの教育環境とか。 東日本大震災での死者・行方不明者は合わせて16人に上ります。

地元の人々が江戸時代から守り伝えてきた獅子踊り。 獅子踊りが代々受け継がれてきた法の脇地区。 獅子踊りの舞手を40年務めてきた長洞正人さんもその一人です。 獅子踊りを復活させまたみんなで集まりたい。 獅子踊り復活に向けて坂本さんが上映した映像を見てもらうためです。 長洞さん、初めて目にする80年前の獅子踊りです。 実はこの映像が撮影される数年前にも伝統を若い世代に引き継ぐために長洞さんが動き始めました。 そのころ、まだ幼かった子どもたちにとって本物の獅子踊りの記憶はおぼろげになりつつあります。

となると、過去の映像を見て、あっ、この人たちも頑張っていたんだということによって、自分が耐えられると。 サンドウィッチマンのお2人はどうですか?今の映像、ああいったもの。 獅子って、もしかしてライオンと思ってません?違うんですか?あの、東北の獅子って、原形は鹿なんですよ。 仏教が伝わってきて、殺生しないらしいよというのを聞いた鹿たちが、今後は俺たちも殺されなくて済むんだっていって、喜ぶというのが、獅子踊りの原形なんです。

月光仮面!私もこの世代です。 絶対飛びます、飛び降りないとだめなの、月光仮面は、そう。 さあ、今度は岩手県久慈市のかつての映像。 そう!宮城県の歌津の映像。 こちらもその当時のお父さんが、子どもたちと帰省したときに撮った映像だそうです。 この牛渡は今、居住制限区域に指定されています。 その結婚式会場も、お宅から今度は旅館に変わりました。 こうした映像、あるいは写真っていうのは、その撮った方が一番大切にしている、その時間を切り取っているわけですよね。

玄侑さん自身も、例えば、お子さんの基金をなさってらっしゃった子どもたちの活動を見ていらっしゃると思いますけれども、子どもたちの胸の内っていうのは、やっぱりそういった気持ち、高まっているというようにご覧になっていますか?東京のNHKに震災後に行ったときに、NHKのスタッフの方で、私、相馬なんですとか、僕、福島市なんですというようなことを言って、あいさつに来る人がいて、それまではなかったですよ、そんなこと。