特集 明日へ −支えあおう− 震災から4年 つなげよう

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この番組のまとめ

さあここからは、福島ご出身の西田敏行さん、そしてAKB48で、被災地の訪問活動を続けてらっしゃいます高橋みなみさんにもお越しいただきました。 今回、私たちがお邪魔している南相馬市なんですが、位置とすれば、福島県の北東部に当たりますね。 ここは東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で避難を余儀なサンドウィッチマンのお2人が行っています。 どうもこんにちは、サンドウィッチマンです。 そしてこちらの模型は、南相馬市の小高区の模型で、今、まさに制作中ということになっております。

はい、決まりました!続いて、中いわば浅田真央さんに続けと、みんな、日々頑張っています。 きょう、真央さんにいろいろ教えてもらって、どうですか?こうして今また、このリンクでスケートができること、どんなふうに思ってますか?震災のときは、スケートを続けられるかどうかが、分からない状況だったんですけど、今こうして、このリンクに立てることが、本当にうれしいです。 浅田真央さんの演技、どんなところが好きですか?丁寧で、いつもきれいなところです。 浅田真央さんの、せっかくなら、そうですね。

この出会いを今後、真央さんのこれからにはどんなように生きていくんでしょうか?そうですね、本当に被災された方、本当に悲しいこと、苦しいこと、たくさんあったと思うんですけど、私も今回、実際に伺って、皆さん、それぞれ前向きに頑張って進んでいるなあというのを感じました。 さあ、真央さんが被災地訪問をした様子なんですけど、今週土曜日に放送する、こちらの番組でも詳しく紹介しますので、ぜひ、皆さんご覧ください。

特に子どもたち、リンクが、被災して、しばらく練習できなかったり、遠い所に練習に行ったりして、やっぱりホームグラウンドに戻ってきて、ああやって真央ちゃんがね、直接、一人一人にあんなに丁寧に教えてくださる、やっぱりもう、一生の宝になるんじゃないかなと思いますよね。 お年寄りは、本当に今のファックスのように、自分が生きているうちに、本当に完成するのかというね、新たな時間がたったことによって、福島へ帰ってきては聞いたり、伺ったり、直接、被災者の方と、お会いして、いろいろ話を伺ったりはしてます。

4年前、震災直後と今では、受けられる方々の表情とか生活は、相当違いますか?そうですね、まだ震災直後のときは、みんなで力を合わせて、頑張ろう、みんなで一生懸命やれば、必ずちゃんと復興するからみたいな希望が、俺の生きてる間はちょっと難しいんでねぇべかみたいなことを、幾度もおっしゃるんですよ。 あまり、西田さんご自身も自分のふるさとが原子力発電所の放射性物質によって汚染されてしまうということがあったんですけども、汚染ということば、実は西田さんは非常に。

南さんも、同じように被災されたあとから、ずっと現地に入られて、今も支援を続けてらっしゃいますけども、やっぱり今、4年目というのは、多くの方々は震災直後の悩みとは違うのを抱えているような気もするんですけど?そうですね、さっき西田さん、おっしゃったみたいに、被災された当初は、とにかく命があってよかったね、これからあしたに向かって一から頑張ろうという気持ちで皆さん、同じ、ラインに立っていた感じはあったんですけど、今はそれぞれの悩みが、個人でもそうです、地域でもそうですし、っぱり、おっしゃるし、やっぱり外の人間と

そうした状況の中で、今週水曜日で震災から4年を迎えます。 その大きな力になったのが全国から駆けつけたボランティアでした。 大友さんの畑でボランティアを行った吉永輝次さんです。 みんな、ボランティア行ったときに、大友さんと出会って変わったこととかってあります?正直、こんなもらえると思ってませんでした。

被災された方に支援をなさって、その子から例えばこんなに元気になりましたというお手紙がきたりとか、その後のこととかは、連絡が来たりすることはあるんですか?そうですね、握手界を開いたときに、出身の方が来てくださって、前来てくれてありがとう、あのときは、あのライブの日にいましたっていうふうに、声を頂いたりとか、小さなお子さんから、ライブをしたあとに、これっていうふうに、お手紙を渡されて、みんな来てくれて、ありがとうっていう、本当にこう、まだまだ字も、書きたてというか、覚えたての字なんですけど、そういうことばを頂

全然大丈夫だと思いますよ。 大和田弘樹。 人に感謝ということばを書いた大和田弘樹さん、48歳。 当時、民宿の再建を諦めかけていた大和田さん。 西田さんも、若いころに福島離れて、俳優を目指して、東京で暮らされて、震災があったあと、福島だったよね、昔からつきあっていた人たちが、また支援をしたり、大丈夫か?って声をかけてくれて。 だから、今、ちょっとこう、絶望感に打ちひしがれてる人たちも、絶対大丈夫ですからということだけは、言っときたいですね。

それで徹底して自分の取った、魚であろうが、農作物であろうが、一番丁寧に農作物を納めてる、農家の人たちであったり、領民であったりとかしていると思いますよ。 玄侑さんはずっと、福島のほう、今、三春のほうにお住まいでいらっしゃいますけれども、今回の震災以降、離れようと思えば、離れられる人たちもいるわけですね。 ところが4年前の東日本大震災で大きな転機を迎えます。 埼玉県の小学校からも応援の手紙と寄付金が届きました。 震災発生の翌月から運行を始めこれまで2万人が参加しています。

そして、今まさに現在進行形の模型が、この南相馬市の小高区の町の中心部のこの模型なんですが、原子力発電所、どうも、こんにちは。 真ん中辺り?何色?小学校の?本当に近くで、ちょっと、濃いブルーと薄いブルーの2つ並んでる所、たんですけども、私のほうは、ちょっと、沿岸部に近い所でちょっと個人的にやってる縫製会社さんのほうで、アルバイトみたいな感じでやってて、サンドウィッチマンさんと同じように、津波は見てます。

3月11日のあとに、私どものビジネスパーソン向けのビジネススクールも、実は東北にたくさんのリーダーを生もうということで、仙台にキャンパスを出したんですね。 それ以降、4年間、さまざまなものを拝見をしてまいりましたが、実はこの、東北以外の方が東北にやって来られて、もしくは東北ご出身の方が、一回、東京とか大阪に来られていたのが、また、お戻りになられて、地元の方といろいろ協力をされて、新しいビジネスを作られたり、雇用を生んだりしている。

巨大なビニールハウスでこのイチゴを作っているのは宮城県山元町の農業法人。 ITコンサルティング会社を10年以上経営してきました。 さらに岩佐さんはITコンサルティングのノウハウを生かし日々蓄積されるデータを分析。 プロボノとは、例えば法律やデザイン、営業や広告などそれぞれの仕事で培った専門スキルを無償で提供するボランティアです。

そのプロの協力を得て、新たに新たに生まれているビジネス、ほかには何かありますか?この、あれにもありますけど、作ったり、ロゴマークを作ったりとかですね、そのあとに、またこれ、おおもしろいんですけど、アメリカの有名な家具屋さんが、そこにまた協力をするという。 被災地でのビジネスに必要なこの眠れるマンパワー、どういうことなのか、VTRご覧いただきましょう。 震災まで東京の大手美容室チェーンの役員でした。 震災で多くの美容師が働く場所を失ったと聞いた早瀬さん。

以前は個人美容室の経営者でしたが震災で雇っていた美容師の多くが辞めてしまいました。 大槌で作られるものはシンプルでモダンなデザインが人気を集め震災から3年半でおよそ8500万円を売り上げています。 被災者が避難所で生活しながら現金収入を得る仕事はないかと思いついたのが、刺し子でした。

今回、いろんな話が出て、人手不足の話をどう解決するか、あるいはイチゴなんだけども、どう売っていくかと、外とつながることで、いろんなビジネス生まれていましたけれども、これ、西田さん、どう見ました?いやいや、すばらしいと思います。

体育館には、震災によって失われた岩手や宮城、福島の7つの地区の模型が展示されています。 そしてもちろん、南相馬市小高区の模型も今、どんどん完成に近づいています。 それは朝起きて、朝刊のテレビ欄から、震災、復興、東北、被災地、東日本などの文字を探すことです。 おいおい!ここからはわれわれが2人、MCとなりまして、被災地の最新の観光情報をお届けしたいなと思います。 岩手県の三陸沿岸部ですね、今しか見られない、味わえない旬なものを求めて、ハリーさんが三陸へ向かいました。

さあ、たかみなさん、いかがでした?本当に活気があって、でもなんか行けてない所もまだたくさんあるなと思ったので、横丁だったりとか、1人でふらっと行ってみたい。 VTRにもありましたけれども、カキにクジラにどんこ、宮城、岩手、福島には、本当に魅力的な食べ物がたくさんありますけれども、それをテレビをご覧の皆様に、PRしようということで、こちらのコーナーいきましょう。 ですけどね、この深海で目が光るんで、メヒカリという、あれならしいんですけど。 私のイチ押しは福島県会津若松のソースカツ丼です。

サンマは東京でもよく食べるんですけども、私、気仙沼で初めてサンマの刺身を頂いたんですよ。 やっぱり新鮮でないと、お刺身にならないから、お刺身もおいしくて、焼いてもおいしいし、ちょっ意外に水戸とか、そういうイメージあるんですけど、宮城県は実は北海道に次いで、大豆の生産第2番目なんです。 農林水産大臣賞を受賞してる。 仙台局、2年間勤務されてましたからね。 被災地では、続々と交通網が復旧整備されております。 まずは昨年、全線開通した三陸鉄道。

仙台と石巻を結ぶ仙石線、さらにですね、石巻・女川を結ぶ石巻線、こちらがもう開通、決定していると。 それぞれ石巻線は今月21日、仙石線は5月末に全面開通すると。 まずはハリーさん仙台から仙石線とバスを乗り継ぎ、石巻へ。 だということを、テレビの前のよい子たち、ご存じだったかな?今、石巻線は、女川の1つ手前の浦宿でストップ。 仙台から東北線を走ってきた列車が新線を通って仙石線に乗り移ります。

サンドウィッチマンさんのネタも結構ご利益あるんですよ。 さあ、次はわれわれサンドウィッチマンお勧めの場所をお伝えしましょう。 これはもうご存じですね?岩手県平泉にあります、中尊寺金色堂でございます。 世界遺産になってからどんどんどんどん本当にお客さんが増えてきておりますね。 大体、東北の中学生は遠足、大体中尊寺。 と親潮がぶつかる福島県沖の海を再現した潮目の大水槽。 私は原発事故の影響で、避難指示が出ている富岡町に地元の案内で行って、地元の方の案内で行ってきました。

地震が起きたのは卒業式の準備をしていたときのことでした。 黄色のエリア居住制限区域に入りました。 その向こう側が、赤いエリア帰還困難区域です。 福島沿岸地域はまだまだ大変ですね、これね。 だって卒業式のパイプいすが、すっかり止まってるわけですもんね。 でもやっぱり、また富岡の桜並木、本当に見事で。 だからああいう場所で、本当にまた人が集う日が、ときがやって来ることを本当に心から願えるんですよね。 富岡の旅館ですか、15メートルの高さにあそこも津波行ってるって、相当高い波が来てるんですね。

福島県南相馬市、仮設の小学校の体育館。