今週、私は原発事故ですべての住民が避難を続けている福島県楢葉町に入りました。 避難区域で、除染の対象となっている場所のうちすでに除染が終わった住宅地は3分の1。 私がいます、この楢葉町は避難区域の中で、いち早く町全体の除染が終わっています。 東京の湾岸地域にある東雲住宅です。 36階建てのマンションに福島県から避難した夫婦が身を寄せているのは21階6畳2間の部屋。 先月、夫婦は自宅の状況を確かめようと浪江町に一時帰宅しました。
真山さんは、阪神・淡路大震災を体験され、東日本大震災のあとは、被災地をたびたび取材し、震災をテーマにした作品を執筆されています。 今回、帰還困難区域と居住制限区域に限って、分析しましたら、絶対に帰りたいと思っていらっしゃる方の、優に6割の方が、これはもう計り知れないと思うんですけれども、何が一番苦しいと、皆さん、感じていらっしゃるんですか?今回のアンケート調査でも、ふるさとの喪失、というのは、当然、出てくるわけなんですけれども。
私どものやった調査でも、1年目、2年目、3年目の調査では、避難区域によるストレス差っていうのは、出てこなかったんですが、この4年目になって、避難区域によるストレス度の違いというのが、究極的にぱっと表れてきた、顕在化してきたっていうふうに思うんこの避難区域のちょうど象徴的な写真を私、撮ってきたんですけれども、この写真ですが、この本当に3メートルの道路を挟んで、ここから先は帰還困難区域、帰れない区域、ここからこちらは帰れる区域、両方から見て、本当にこの差がここで出て、賠償金の差までも出てしまっているということ
避難区域の中では放射線量が比較的低く早い時期の帰還を目指していました。 仮設住宅で隣で暮らしていた小高茂子さんです。 私がこの原発事故の被害者の方たちとおつきあいしながら、本当に最近考えていることは、この社会の仕組みや構造がもたらす、構造的な暴力が本当に繰り返し働いて、いうふうに見てます。