スタジオパークからこんにちは 小林 隆

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この番組のまとめ

きょうご出演の方は、そのNHKの放送開始90年にちなんだ節目の年に紅白誕生秘話のドラマにご出演です。 ドラマ「紅白が生まれた日」にご出演です、俳優の小林隆さんです。 小林隆さん、スタジオパークご出演が10年ぶりなんですね。 小林隆がね、生放送のトーク番組に出るということが僕には信じられないですね。 「紅白歌合戦」は当時「紅白音楽試合」。 「紅白音楽試合」はラジオ放送で「紅白歌合戦」が生まれたのかというドラマにご出演です。

ましてやGHQ、主にアメリカ軍に占領されたという状態ではあるんですけれどそれと同じぐらい、もしくは灯火管制がない、空襲警報がない。 六番組組長・井上源三郎でござる。 今は中村勘九郎さんになりましたね、当時中村勘太郎さんですが3人でしゃべりながら直前になって呼ばれるんですよね。 ドラマのある部分に、小林少年はとても注目していたそうなんです。 エンドロールというのは、スタッフや俳優のお名前が登場するものですね。 そんな小林少年がドラマのどんな部分に注目していたのか視聴者の皆さんのお答えです。

「黄金の日日」を見て俳優に憧れた小林さんは大学卒業を控え、就職ではなく俳優の道に進むことを決意。 笑い声テアトルエコーという劇団の養成所に、2年やりましてそれで卒業して卒業した年に1年の間に10本の舞台に出たんです。 それを当然見てくださってその翌年、東京サンシャインボーイズという劇団をやっているんだけれども出てくれませんか、っていうお話をいただいて。

ミュージカル俳優というのは歌えて踊れて芝居のできる三拍子そろった人がやるもので俺なんかはやるべきじゃないと思ってミュージカルという選択肢を自分から外した時期があったんです。 オーケストラピットの中でさまざまな楽器を演奏する人たちの群像劇です。 ♪「名前のヒントは」♪「漢字で二文字」♪「名前のヒントは」♪「かなでも2文字さ」拍手初めてとは思えない。 同じく出演した川平慈英から青山劇場でジャージでセンターを取った男と呼ばれました。

大変どころの騒ぎじゃなくて近くの接骨院とかに行っても電気をあてるだけで2週間、3週間安静にしているようにそんなことしていられないじゃないですか。 そのときに主演の真田広之さんが、スポーツマッサージがあるからと紹介してくださってそこは本当に日本のトップアスリートたちも通うところでただその代わりすごい治療でした。 日本のトップアスリートが泣くくらいでもそれを聞いたら泣くもんかと思ったんです。