桂米朝さんをしのぶ 日本の話芸・選 落語「どうらんの幸助」

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この番組のまとめ

まあ あの 大阪で 関西でこの浄瑠璃といいますと義太夫の事ですな。 東京の方では浄瑠璃といいましても清元やとか新内やとかいろいろございますが昔は 随分 はやったもんでしてあっちゃこっちにこの義太夫の稽古屋さんがありましてねそこで こう 教えるんです。 さかい まあ 有名な浄瑠璃なんか誰でも知ってた訳で歌舞伎と同じように。 金物屋の前 八百屋の前」。 この横町の割木屋の親父やがな」。 「ああ あの割木屋のおやっさんがどうらんの幸助かい。

『仲良うせえよ~!』仲直りさして『幡随院長兵衛は 俺でござい』これが あの親父の道楽やがな」。 「だから お前とわしと ここで相対喧嘩しよう」。 「相対喧嘩て 何や?」。 『どうせ お前ら 食い物の事やろ』言うて 煮売屋へ行って生節を ぎょうさん買うてきて『さあ 食え!』犬のこっちゃがなごちそうが来たら喧嘩 忘れて食べてるやないかい。 犬の喧嘩と 5~6ぺん往復しよってん 煮売屋とをな。

「そら まあ酒飲ましてもらうんやさかい一つぐらいは辛抱するけどな。 ここに でんぼが出来たんねや」。 「そんな手荒い事せえへんわい。 『口で… 口で言うたかて分かるやおまへんか』『手ぇかけへんでも よろしい』『口も くそもあるかい!』あばらの3枚目 バ~ン!」。 そないまでして わしは酒飲みたい事ないのやさかい。 「隠れんぼみたいな事言うて…。 「そんな事言うてたらあけへん。 「そんな事言うたらあけへんやないか!」。 本気か?本気なら お前らに負けへん」。 どうやら 喧嘩がほんまもんになってきた。

「さて 今日は わしのような者が仲へ入ったにもかかわらず気ぃよう 喧嘩を任してもろうて礼を言います。 大体 どういうところから喧嘩になったんかお前から 先 言え」。 とにかく 喧嘩の事 初めからの事ずっと言え」。 ははあ言い渋ってるところを見るとこの喧嘩は われが悪いな。 「どういうとっから喧嘩になったか初めからの事を言えっちゅうねん」。 「ほいで 小間物屋の前や紙屋の前や 八百屋の前や酒が飲ますと言うて飲まさなんだとかそんな しょうもない事で喧嘩になったっちゅうのかい」。

酒食ろうて また喧嘩しやがったら承知せんさかいな。 どうも このごろ世間が不景気で喧嘩までが不景気になりやがったな」。 ぼやきながら 辻を こう曲がってやって参りますとそこにありましたのが浄瑠璃の稽古屋でございます。 踊りの稽古屋なんかは もう窓の所へ 近所の人が集まって一生懸命見てるもんでございますがまあ 浄瑠璃の方は そんなにぎょうさんは おりませんな。 『柳の馬場押小路 シャン軒ィをォ並べし 呉服店主は 帯屋長右衛門井筒に帯の暖簾のォかけね如才も内儀のお絹「『や… やや… 柳の馬場押小路』」。

「『や… 柳の馬場押しこかし』」。 「あんた 今何を言いなはったん?あのな 節がでけんのは許すけど文句 間違えたら…。 『柳の馬場押小路』。 「お師匠わて ここ 嫌いだんねん」。 ちょっと浄瑠璃らしい聞こえまっしゃないか」。 「もし 珍しい浄瑠璃やってまっしゃないか」。 「そうそう ここは いつも『三十三間堂』やとか 『太十』やとか決まってまんねん。 「あ~ 相当派手にやってるな。 「中へ入って 仲裁の一つもしてやろうという親切心のある人はおらんのか? ちゅうてんねや」。 「いや 浄瑠璃でんがな」。

『お半長右衛門 お半長』でんがな」。 元おなごしさんやったいうんで手ぇ つけたんで あとへズルズルベッタリ 入り込んでしもうた。 お伊勢参りの下向道石部の宿の出羽屋という宿屋へ泊まり合わした時にちょっとした間違いがあってなこの お半さんと長右衛門さんとがややこしい仲になってしもうた。 それを ひとつ荒だてて長右衛門を放り出そうちゅう事になった。 と ここにお絹さんというてこれ 長右衛門さんの嫁はんこれが もう日本一の貞女と言うてもええ人なんや。

「柳の馬場押小路虎石町の西側ちゅうとこで」。 「柳の馬場押小路虎石町の西側やな。 ほいで 主は 帯屋長右衛門。 ああ 帯屋の長右衛門やな。 この長右衛門ちゅうのは年は いくっちゃい?」。 「何どす?」「この京都に 柳の馬場押小路ちゅうとこ あるかい?」。 「そこに 帯屋長右衛門ちゅううちがあんの あんた知らんか?」。 柳の馬場押小路 虎石町の西側で主は帯屋長右衛門…。 ま とりあえずここの主の長右衛門さんにちょっと出てもらいまひょうかな」。 いえ うちの主はな太兵衛と申しますんで長右衛門とは申しません」。