加賀百万石は どう守られたか。 「ブラタモリ」 今日の舞台は金沢です。 江戸時代から続く 美しい城下町。 加賀百万石の城下町 金沢。 江戸時代には 江戸や京に並ぶ文化や芸術の中心地として栄えました。 私 あんまり…あなた あれだったよね最初 しゃべった時 何だっけ…金沢城を中心に加賀藩について研究している木越隆三さんです。 加賀藩は 今の石川県と富山県にまたがる日本で一番大きな藩でした。
加賀百万石を守るための巨大な壁は今 町並みの下に眠っています。 「香林坊橋」という…。 ありますね 香林坊橋。 西外惣構。 ここにね香林坊橋の木戸という事…。 続いて タモリさんが目指すのは城下町を2重に取り囲んでいた惣構のうちお城に近い内側の惣構です。 土塁の土をよけた部分といいますかね撤去した部分というふうに解釈して見てるんですがね。 1599年 前田家初代 利家が死去。 幅二間。 これ 幅二間。 幅二間 生きてる。 地形の高低差を巧みに利用して造られ長い間 城下町を守っていた惣構。
まるで 金沢城から出てきたかのようですけども…。 どういう危機かといいますと…1631年 火事によって金沢城は焼け落ち城下町は大きな被害を受けました。 もともと金沢城は細長い台地の端の高台に造られた城でした。 兼六園が ここでここ 台地が ず~っと続いてるというのが分かるんですけど。 今は道路になっている城と兼六園の間の 大きな堀。 兼六園側まで来た…これは あれでしょこういうふうに こうやれば…「当然」? 何で 当然?そういうふうに…あっ 分かりやすい。
この 下がってるというのがさっきの ペットボトルの下がってると…。 この石管 別の所で保管されてるものがありましてこういう形で中に穴が開いてる…。 続いてタモリさんがやって来たのは兼六園を出た所。 この場所に兼六園に水を引き込む辰巳用水の水路があります。 川から水を引き込んでいる場所を目指しタモリさんは辰巳用水をさかのぼります。 その斜面の…天端といいますか頭ぐらいの所に平地をつくってタモリさんがやって来たのは兼六園から11キロ離れた巨大なダムです。 この近くに 辰巳用水の取り入れ口があるんです。