NHKアーカイブス「戦後70年 日本人はなぜ戦争へと向かったのか」(2)

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この番組のまとめ

日本人だけでも300万人以上が亡くなりました♪~満州事変をきっかけにメディアは 対外強硬論へと傾き熱狂させました。 保阪さんは前回 出演頂いた際に太平洋戦争 そしてそれに至る時代というのは今の私たちにとって最良の教科書だとおっしゃっていましたがその観点で 今日 これから見てまいります「メディアと民衆」をテーマにした番組どこに注目をされますでしょうか。 これは当時の主な新聞三社の発行部数のメディアがその姿勢を転換したのは満州事変だというふうにいわれております。

販売部数が落ち込んでいた新聞業界も政府は 満州事変不拡大を決定。 中国憎しの論調が読者の心をつかむ中で満州事変が発生しました。 各社が満州事変拡大を支持する中「軍部支持やむなし」の声が出始め社論を転換していきます。 なんとか 遅ればせながら世論が満州事変を支持して頂きたい。 新聞各社が満州事変で軍を支持したのは販売部数を伸ばすためかそれとも 満州権益という国益を考えての事か。

信州郷軍同志会とは長野県在住の軍務経験者の会が組織した団体です。 自分たちの主張にそぐわない新聞には不買運動をもって圧力をかけました。 全国紙の進出によって 経営が落ち込んでいた地方紙にとって不買運動は 最大の脅威でした。 それは 新聞社が全面謝罪を行い言論弾圧に無力な経営者と社内の冷めた空気。 近衛の総理大臣就任ひとつき後日中戦争が勃発します。 日本軍が 一大戦力を投入した殲滅作戦の現場です。 日本とイギリスが対立する中アメリカは日米通商航海条約の廃棄を通告。

しかし 同盟締結の翌日近衛は 首相官邸から作られた国民の熱狂とともに日本は 太平洋戦争への道に大きく踏み出す事になりました。 万歳!一方 1941年年頭に向けて発表された世論調査では6割の人々が「日米開戦は避けられる」と答えています。 世論の動向に一喜一憂した訳ですけれどもしかし その世論は メディアによって熱狂と化しておりました。 しかしこうして戦争を迎える時代のメディアの有り様を見てきて思う事はメディアが おかしくなれば国家は すぐに おかしくなるという事です。

今度は戦争へと向かうメディアの状況を番組の中でも ご紹介致しました信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々を通して見てみたいと思います。 桐生悠々 昭和8年ですから太平洋戦争が始まる8年前に「関東防空大演習を嗤う」という批判記事を論説に書いてそれが不買運動という圧力を受けて退社を余儀なくされます。