日本人だけでも300万人以上が亡くなりました近代総力戦に対する 戦争指導者の認識の甘さがあったといわれていますNHKには 当事者の証言や貴重な記録映像を基に日本の敗因について検証した番組があります開戦に踏み切るかどうか国策の再検討に入った。 今回 私たちは その問題を50年前の太平洋戦争で日本が敗れた原因を現代の視点で改めて分析する事によって考えてみる事にしました。
アメリカ・カリフォルニア州…太平洋戦争の半ばまで海軍の作戦の最高責任者であった…開戦の直前日米交渉に当たった…日本は なぜ どのようにしてアメリカとの戦争を決断したのか。 しかし 鈴木企画院総裁や陸海軍当局の判断は開戦を前提とした希望的観測に傾いていく。 イギリス アメリカ オランダの海軍から妨害を受けても日本の物資は差し支えないと考えてよろしいか?船舶の損害は陸海軍共同の研究の結果であります。
アメリカ海軍は アジアの潜水艦部隊にひそかな指令を出していた。 真珠湾攻撃の3時間後アメリカ海軍は 直ちに全潜水艦に無制限作戦を発令。 しかし アメリカの潜水艦攻撃はこの時期意外な欠陥を抱えていた。 トラック島近海をパトロール中のアメリカ潜水艦 ティノーサがティノーサは 15本の魚雷を発射。 太平洋戦争中 日本の輸送船はどのような動きをし戦局に伴って そのシーレーンはどう変化したのでしょうか。 アメリカ海軍は輸送船の単独航海を禁止し大船団を組んで航行する事を命じた。
開戦から僅か1年足らずで始まったガダルカナルの戦いによりまして日本は その海上輸送能力の弱点というものも南方からの米の輸入が減り米不足が深刻となり政府は 芋も主食にする事を決定。 造船所に回る鉄鋼材が減ると100トンクラスの小型木造船までしかし 日本軍が現地の船舶を次々に挑発していくにつれ貿易が断たれ各国は自給自足を余儀なくされていた。 インドネシアのジャワ島ではスマトラからの石炭が途絶えたため日本軍は 島内のバヤで炭鉱と鉄道の開発を始めた。
このように 日本の戦争指導者が潜水艦から輸送船を守るために重い腰を上げた時にはもう手遅れで 既に日本の国力では守り切れない事を昭和19年2月17日。 アメリカ艦隊の攻撃機が日本海軍の基地 トラック島を奇襲攻撃した。 アメリカの潜水艦が日本の沿岸に近づき輸送船を次々に狙い撃ちしていった。 アメリカ潜水艦 ティランテが長崎市に近い軍艦島を攻撃した時の記録である。 そして9隻の輸送船と共に船団を組みアメリカ潜水艦の目をかいくぐって日本を目指す事になった。
そういう意味で戦争中に日本が掲げたあの 自存自衛の旗印は身の程を知らない全くの幻想であったと言わざるをえません。 太平洋戦争の開戦目的であった自存自衛と大東亜共栄圏 建設の幻想はここに崩れ去った。 太平洋戦争中 ミッドウェー海戦やフィリピン沖海戦に参加した戦後70年の今改めて この番組 見てみましてあまりに無謀で根拠も戦略もない戦いでどうして あれほどの国民の生活そして 命が失われなければならなかったのか強く 感じるものですね。 それから アメリカの軍事組織と日本の軍事組織を比べると精神力が 全く違うと。