スタジオパークから…こんにちは!タレントの、東貴博さんです。 東さん、スタジオパーク過去2回ご出演です。 そのときに、結婚観とか、彼女間どんなことを言っていたんでしょうか。 これを安さんがブログに載せたら勝手にネットニュースになってきれいすぎる赤ちゃんとか。 グラビアはいけますね。 グラビアかコメディーか。 どちらかというとグラビアの顔ですよね、小悪魔的な。 この詩歌ちゃんですが名付け親は萩本欽一さん。 萩本欽一さんが娘さんにどうやって名前を付けたのかがクイズです。
名づけ事典のようなものを2冊くらい持っていって産まれるまで半年近くあるのでゆっくり考えてくださいってお願いしたら名づけ事典をぱらっとめくって書いてあったんだよ、ってそんな適当に付けたんですかってどのページにするか5分ぐらいは考えたよって考えてるうちに入らないよって言ったんですけど運の強い子になってほしいから一発で決めたと欽ちゃんも俺が運が強いほうだったからぱっとめくってそこでいちばん光っている名前にしようってそれで詩歌になったんだよ。
高校時代は学校をさぼってディスコに入り浸り、親に無断でバイクの免許を取ったりやんちゃぶりは相変わらずでした。 高校卒業してからも大学にも行かず就職もしないし本当にぷらぷらしていたんです。 高校卒業するにあたって三者面談があったんです学校で。 地方で欽ちゃん劇場があったり浅草にも当時ビアホールみたいのがあってお客さんの前で毎日舞台をやったりとかこの写真は日光江戸村にあった欽ちゃん劇場です。 そして1994年萩本さんの勧めで劇団員の先輩・深沢邦之さんとお笑いコンビTake2を結成しました。
伊東四朗さん、三宅裕司さんなどがご出演されている舞台伊東四朗一座旗揚げ解散公演というのが、きっかけになったそうですね。 最初、伊東四朗さんも旗揚げ解散公演ということで1回だけの公演のつもりが続いていて形を変えて12年も続いています。 0点っていうの、これ!あんたたちもね、テスト返ってきたらすぐに見せるんだよ!じゃあごはんの用意してくるからいい子にしていなさいよ!伊東四朗さんが言ってくださって。
舞台は足さばきや手さばきだったりそういうところでプロと素人の差がはっきりこの世代で一緒に裏方さんとの打ち合わせを全部やるんですよ。 じゃあ自分でやってみようと思って、まね事ではないんですが自分でも立ち上げてみて脚本を書いて、裏方さんとみんなと打ち合わせをしてこうやるとみんな、こんなところで大変だったんだと勝手にこいつ台本を変えやがった腹立つな、コイツみたいな。 脚本を自分で書かないといけないから大変ですよね。
ちょっと見守ってはくれているんですが安さんの写真集たちですね。 もちろん安さんの写真集です。 動く本物がおそばにいるのに写真集が。 今は詩歌ちゃんに取られていますから写真集はずっと俺のものですから。 本当に舞台に立ってすごい印象的だったのが笑いは取るんだけどもうちょっといけそうだなと言ったときに伊東さんが俺が稽古していたときにもうちょっとあごを上げてしゃべってみ、と言ったんです。 「コロッケぱらだいすごきげん歌謡笑劇団」という番組です。