郷土の資産家として名を残してきた鳥越家の一族。 しかし 死の間際 俊太郎の父が書いていた手紙を発見。 鳥越興膳は戦国武将 大友宗麟の家臣。 豊臣方についていた鳥越家に不遇の時代が訪れます。 大庄屋だった鳥越久左衛門こと興膳は取り潰しの憂き目に遭ったと記されています。 その後 興膳と鳥越一族は地元の耳納連山の山奥に流されたといいます。 一度は断絶の危機に瀕した鳥越家。 俊太郎さんの父 俊雄さんとはどんな人物だったのでしょう?福岡市に住む俊太郎さんのきょうだいを訪ねました。 鳥越俊太郎さんの…?妹です。
俊雄は 部の存続のために男女混成合唱の実現に奔走。 俊雄が恋した女性とは現在の鴨沂高校に 綾子の歌の才能を表す資料が残っています。 綾子の才能に魅了された俊雄。 結婚を迫る俊雄に対して綾子は…。 両親は 俊雄の学歴と米問屋という家柄から結婚に賛成。 順風満帆のはずだった俊雄にその後の人生を揺るがす出来事が起こります。 皮肉な事に戦場という特殊な環境が俊雄を対人恐怖症から一時的に解放する事になりました。 その中に俊太郎から 父 俊雄に宛てたあどけない絵手紙も残っています。
俊雄の一直線な思いに巻き込まれたのは鳥越家の子供たちでした。 お手伝いさんも参加した鳥越家の「家族会議」。 「家族会議と家庭日記とが僕たち家庭の幸福と前進の両輪だ」。 営業担当の俊雄にヨーロッパの視察を命じました。 持ち前の情熱でフランスパン界の巨匠 レイモン・カルベルを説得。 フィリップ・ビゴさんはフランスパンに懸ける 俊雄の情熱的な人柄を 今でもよく覚えています。 会社の命令に背いてでも 自分の信念や情熱を貫こうとする俊雄。