スタジオパークからこんにちは 志村けん

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この番組のまとめ

志村後ろ後ろと言っていた隣に自分がいるというね。 実はスタジオパークご出演は2006年以来9年ぶりです。 生のトーク番組で志村さんがご出演になるのはなかなかね。 この間大阪の番組でごいっしょしてツーショット写真をお願いして志村さんの名前を冠したコント番組でNHKでは初めてです。 今回、志村さんのコント番組出演のきっかけがあったんでしょうか。 アメリカン?では、このカフェアメリカーノでよろしいでしょうか?これ、あの薄いやつ?はい、エスプレッソに熱いお湯をたっぷりと注いで…。

どんな球を投げてもどういうふうに球を投げられてもなんか…それが最大の魅力というかある意味本当に敬意を持ってますね。 志村さんとやって以来、久しぶりだったということです。 いつも会っている人だとこうくる「となりのシムラ」前回、第1弾の再放送もあります。 志村さんご出演の番組もう1つございます。 続いては志村けんさんに清水さんにぐぐっと迫っていただきましょう。 志村けんさんは1950年3人兄弟の末っ子として東京都東村山市で誕生しました。

小学校のときからクラスメートを笑わせることが大好きで高校2年生のときには弟子入り志願のため喜劇俳優の由利徹さんのもとを訪れますが弟子が多くて断念します。 そして、卒業を間近に控えた高校3年生のときにはなんとかお笑いの世界に入りたいと今度はみずからお笑い修業のために付き人としてザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介さんに入門を志願。 ドリフターズは音楽を絡めたお笑いが多かったんで音楽とお笑いは密接な関係があるなと思ってドリフターズを選んだ笑いの修業のために付き人として働く日々を過ごします。

荒井注さんがドリフターズをやめるというのでちょっとお前厳しいことは、厳しいんですよドリフターズって。 いよいよドリフターズに入っていきます。 1974年24歳でザ・ドリフターズのメンバーとなり「8時だョ!全員集合」で次々と生み出すギャグやキャラクターは社会現象になるほどの注目を集めます。 うちの弟は小児ぜんそくなんですけど志村さんの出ているのを見て笑いすぎて発作を起こして呼吸困難になってしまって人間はこんなに笑うんだというくらいで、それ以来、「全員集合」を見てはいけないことになってしまったんです。

3本コントをやるのは大変だしじゃあ腰元にしてしまえということで殿様で、いかりやさんが家老をやっていろいろ聞いていっぺんに3人でやると1回で済むので思っていませんでした。 そうやってキャラクターが生まれたんですね、どんどん作り込んでいくという感じですか。 お決まりのネタ、キャラクターは少しずつ変化して。 お決まりのキャラクター作りの楽しさはどんなところにありますか。 実は、この白塗りでございますがNHKの番組でも、志村さんの違う白塗りの映像がございます。 松竹新喜劇のような藤山寛美さんの人情話というか。