万歳!60年前の結党以来戦後の大半で政権を担い続けてきた自民党。 自民党には 吉田 茂と 岸 信介それぞれを源流とする2つの路線がありました。 吉田 茂と岸 信介という戦後を代表し その後の政治の大きな潮流を生み出していく2人の政治家のせめぎ合いを見てまいります。 まずは 戦後の混乱の中から憲法が制定され講和条約を結んで独立し自民党が結党されるまでの10年間です。 吉田が政権の座にあった頃GHQによって東京の巣鴨プリズンに拘束されていました。
スタジオにはジャーナリストの田原総一朗さんと東京大学名誉教授の御厨 貴さんにお越し頂きました。 だから まさにその当時の政治の主流であってそれが 戦後は 今言った吉田さんと岸さんが立場逆転。 つまり 戦後は行き過ぎたよねっていう感覚で当然 吉田親米路線に対しては本能的に嫌なんですね。 やっぱりね吉田がよく言ってた 負けっぷりをよくするという点から言うとこれは完全に負けっぷりをよくしてねアメリカに 全部 「どうぞ」っていう感じだったのね。
反発の声は安保反対運動に波及し岸内閣の支持率は 20%台に下落。 そこには 安保改定の後に自らの路線に引き戻そうとする1960年5月。 ところが この採決がくすぶっていた安保反対運動に火をつけます。 反対運動は 全国各地に広がり1週間後に 参加者は54万人に膨れ上がりました。 でね 実は この大事な問題だけど僕はデモに参加して「安保反対! 岸は辞めろ」と言いながら吉田安保と岸安保の違いなんか読んだ事もない。 だから この安保改定は要するに アメリカの戦争に日本が巻き込まれる。
岸の弟の佐藤は戦後最長の7年8か月にわたって政権を担いこうした中 アメリカの雑誌に憲法改正に取り組まない自民党を批判した論文が発表されます。 佐藤政権後の総理大臣たちも憲法改正を提起する事はありませんでした。 こうした中 憲法改正を訴え続けてきた 中曽根康弘が有力な総理大臣候補として台頭します。 しかし 中曽根は総理大臣に就任してから僅か10日余りで憲法改正を封印します。 だから 総理大臣に本当に戻れるかどうかは別としてそのぐらいの気持ちで彼は ず~っと孤軍奮闘していく訳ですね。