諸君…狂いたまえ!長州藩士 久坂玄瑞である。 幕末の英雄 久坂玄瑞。 まあ この久坂玄瑞という人ひと言で言えば 僕は…江戸時代を壊した!?そうです。 これは大体 思想家であるとともにまあ 先導者ですから第2のグループが久坂玄瑞であり高杉晋作でありそして意思の強さそして それプラス体ですね。 これが 久坂玄瑞にはあったんじゃないのかなと思うんですね。 そんな印象を受けたんですけどもなぜ… まあ 幕末とはいえ江戸時代にそんな個人として 個性として輝く事ができたのかっていうそこに 非常に興味が湧きました。
さあ では まず久坂玄瑞とはどんな人物だったんでしょうか。 生涯の師である吉田松陰との出会い天保11年 久坂玄瑞は 藩に仕える医師の三男として生まれた。 久坂も入塾し松陰の門下生となった。 松陰の死から半年久坂は行動を開始する。 このころ 久坂が 松陰の実家に送った手紙が残されている。 松陰の遺志を継いだ久坂たち草莽の志士がついに国を動かした。
横でつながっていこうよというそれを現実的なものとして政治の力としていったのはやっぱり 久坂玄瑞でそういうところでは久坂玄瑞という人は 何か こう…だから うまいのは吉田松陰という自分の先生これをシンボルにしていくんですね。 吉田松陰というのは非常に純粋でまあ過激ではありますけどそういう善悪を超えて純粋に国の事を思って行動した。 吉田松陰像って私たちがよく目にするあれを描かせたのも実は久坂だった…?そうです。
さあ そんな久坂たちの活躍もありまして攘夷が行われる訳なんですけれども当時の政局というのは大変 混迷にありました。 そして もう一つが更にですね 従来政治とあまり関わりのなかった外様大名たち長州藩や薩摩藩などの雄藩が台頭してきました。 久坂たち長州藩が主導権を握り日本は攘夷の方向に進み始めた。 同じく 長州藩の活躍を快く思っていない薩摩や世に言う八月十八日の政変である。 国家全体が その攘夷という方向に向かっていくように久坂は兵を引き連れて 京都に向かった。
やっぱ 久坂の最大の失敗はね孝明天皇へのラブコールが 本当に裏目に出ちゃった事ですね。 要するに 長州は攘夷やれって言われたらどうやってやるかっていうとこれは幕府に命令できるのは孝明天皇だけなので孝明天皇を まずデモンストレーションさせる訳ですね。
久坂の主張もむなしく長州軍は強硬策をとる事となった。 我々は 嘆願のために参りました!久坂は 鷹司の裾にすがりつき天皇への直訴の計らいを求めた。 何か 本当にね これまで せっかく年齢とか身分とかあるいは藩っていうものに縛られずに 縦社会から自由に 個人として能力を発揮してきた久坂が最後の最後に やっぱり最終的には熱い人に押されてしまってそれで のまなきゃいけなくなって最期 散っていくという思ってしまうようなね 何かやるせない感じがしながらちょっと見てましたけども。
武器をどうして 性能をどうして近代化をどうしてとか関係なしにとにかく 夷狄を払うというその感情的な攘夷論の中心的な人物ですよね。 長州藩といえば 人気はあるけど夢みる夢子ちゃんがたくさんいるという藩であったのにこれが消えたっていうのがやっぱり 次の展開を早く回していくきっかけになったと。 禁門の変の失敗は長州藩を存亡の危機へと陥れた。 翌月には 朝敵となった長州藩を打ち倒すよう朝廷から幕府に征討命令が発令。