今日は 松江城に来てます。 もう 松江城といえば 今話題の…。 「祝 松江城 国宝へ」という事で。 「国宝松江城の城下町はどう作られた?」。 城下町 松江 どう作られたのかというのを 今日は…。 松江城は 実は これまでいつ建てられたか正確に特定できなかったためそこには…これ 年号が「慶長16年」って書いてるんですね。 この穴があったからこそ松江城は国宝になったんですねぇ。
城下町が出来る前は 人が住めるようなとこではなかった。 江戸時代の姿を 色濃く残す山陰の城下町です。 今日は松江で「ブラタモリ」。 松江育ちの 大矢幸雄さん。 本来 人が住みにくい低湿地になぜ城下町をつくったんでしょう?その秘密が 橋の先に残っているんです。 松江に城下町をつくった事と関係があるんでしょうか?松江城下は全体的に低地が広がってるのに…場所 分かりますかね?ここ辺りですか? 今ね。 松江城を案内してくれた西島さん。 これ 松江城のちょうど 出来上がって少しあとのものなんですけどね。
でも 方角的には良かったかもしれないですね。 えっ 方角的にはいい?堀が あります。 堀があって 武家屋敷があって方角的なら…。 湿地帯といいながら これ…うん 既に もう上ってます。 この先の高まりに一体 何があるんでしょうか?湿地帯とは思えぬ この高まり。 ここはもう 湿地帯じゃないですね。 湿地帯じゃないですね。 結構大変ですね。 堀をつくる事で低湿地を克服した松江の城下町。 船に乗れば 堀をうまく利用した江戸時代の暮らしのそうです。
今は この土地松江市が管理しています。 ここのポンプを使って…こちらの…もともと低湿地だった松江は常に 水害の危険と隣り合わせ。 タモリさんが最後にやって来たのは宍道湖の東の端にある宍道湖大橋です。 そもそも どうして松江ってこんなに洪水が多いの?大正の終わりから昭和にかけて大橋川を広げる工事が行われました。 川幅を広げ 底を掘る事で宍道湖から日本海へ向けて2倍の水が流れるようになったといいます。 実は大橋川を拡幅した事によって思わぬ副産物を 松江の人々にもたらす事になったんですよ。