初球からいった!ショートだ!一塁へ!アウト! スリーアウト!試合終了!レフトへ! 下がって見送る 見送る!繰り広げられてきた数々の名勝負前橋育英初出場で初優勝!高校野球は いつの時代も日本人を夢中にさせてきました。 全国高校野球選手権大会夏の甲子園が間もなく始まります。 毎年 甲子園に足を運ぶほど高校野球が大好きというタレントの井森美幸さんです。 井森さんは なぜ そんな熱烈な高校野球ファンになったんですか?えっとですね 子どもの頃からよくは見てたんですよ。
熱狂は 既にこのころから始まっていました昭和8年 第19回大会準決勝は高校野球史に残るゲームとなりました。 高校野球熱は球場の外にも広がっていきます大会を祝って新聞社の飛行機が低空を飛び全国から選ばれた精鋭23校堂々の入場であります。 54年の高校野球史上初めての事であります。 その金属バットを生かした学校が現れますパワー野球で知られる 池田高校…徹底した攻撃重視の野球は守備を中心としたそれまでの高校野球の常識を覆してしまいました。
あとは やっぱり おととし2年前になるんですけども私 地元は群馬県なんですけども前橋育英高校が準々決勝で常総学院と当たったんですね。 1958年から去年のものまであるんですけれども例えば 98年にですね一回 底打ってですねそれにしても これだけの数の方が自分で足を運んで甲子園に行こうと思う訳ですよね。 例えば 甲子園の決勝が終わると昔は 赤トンボがよく舞ってたんですよね。 ですから 甲子園っていうのは日本人にとって俳句の季語みたいになっていますよね。
「日本人が スポーツをこのようにして楽しむのは徳川幕府に原因がある。 徳川幕府は政権を維持するためにこの説の当否は別としても確かに スポーツというにはあまりに厳しい空気がここには みなぎっているようだ。 武道に通じる 勝負中心の日本人のスポーツ心理と封建制につながる郷土意識。 高校野球はたった一校の優勝校を除くと実に 4,000校近くの学校が負けて 全てを終えます。
いろんな種類としょっぱかったりねいろんな涙の味 ありますけど本当に時代の移り変わりとともに野球って 変わってきたと思うんですけどでも 何か 選手とか 監督っていうグラウンドに立つ人の気持ちって最初に ご覧頂きましたけれども野球道というような言葉も出てきて…。 このように やはりその時代背景 社会背景とね決して 高校野球は無縁ではないという事は 言えると思いますね。 時代は変わっても 変わらない高校野球ならではのそういったものっていうのは今に引き継がれてるものもあるんじゃないでしょうかね。
今度 最後にご覧頂きますのはその当時ベンチに入れるギリギリのナンバーだった背番号15番の選手に焦点を当てたものです。 それと一緒に背番号 配るけんな。 価値ある背番号です。 浜田君が 背番号15番をもらったというので野球部に入って3年間初めて手にした背番号15。 春のセンバツで優勝し 夏も甲子園出場を狙う伊野商業は初めての春の選抜大会。 15番の背番号をつけ先輩たちの一番後ろから緊張して 入場行進した甲子園。 数々の思い出のある背番号15。