第47回 思い出のメロディー「戦後70年 喜びも悲しみも歌とともに」

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この番組のまとめ

同じく司会を務めますNHKアナウンサーの阿部渉です。 皆様からたくさんのリクエストをメールやお便りでちょうだいいたしました。 早速そのリクエストをご紹介してまいりましょう。 祖父が戦後元気をもらったという「リンゴの唄」をお願いいたします。 戦争に負けて暗いときに「リンゴの唄」あのいい声で、並木路子さん歌った方。 「リンゴの唄」の翌年発表されたのが川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」でした。 この歌が、NHKのラジオ番組「希望音楽会」で放送されると多くのリクエストが集まりました。

よろしくどうぞ戦後70年の今年二葉百合子さんの「岸壁の母」に数多くのリクエストを又引き揚げ船が帰って来たのに今度もあの子は帰らない。 でも、流しをやっていてどちらかというとリクエストが多かったのは春日さんの歌、三橋さんの歌。 関西から上京して数年後「東京だョおっ母さん」の歌詞のように母を東京見物させてあげることができました。 1960年代所得倍増計画高度経済成長の波に乗り日本は大きく発展。 人気者になった平尾昌晃さんはシンガーソングライターのさきがけとして才能を発揮しました。

大先輩はいましたよ高田浩吉さんとか鶴田浩二さん大先輩。 それじゃあ皆さん、まあ僕の話を聞いて下さいちょうど僕が高校二年であの娘も ミヨちゃんも高校二年の時でしたそんなわけで僕の初恋はみごと失敗に終わりましたこんな僕だから恋人なんていつのことやらじゃあ私も最初の「紅白」のときに歌った歌なんですが「ギター仁義」です。 小林旭さん、平尾昌晃さん北島三郎さんありがとうございました。 伊東さんがてんぷくトリオを旗揚げされたときと北島三郎さんがデビューされた年が同じ昭和37年だったんですね。

そして1970年には大阪万博が日本人の半分ぐらいは見に行ったよね。 藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」に続いては梶芽衣子さん「怨み節」熊本県の高野良江さんほか多くのリクエストをいただきました梶芽衣子さん「怨み節」でした。 このころ、音楽の世界でも海外の歌手が日本語で歌ってヒットするという現象が起きたんですね。 中でも大ヒットしたのがイスラエルの歌手ヘドバとダビデが歌った「ナオミの夢」でした。 それ以来何回も日本に来てたくさんの曲を日本語で録音しました。

山谷拉致問題担当大臣は、津市で開かれた北朝鮮による拉致問題を考える集会であいさつし、おとといの日朝外相会談の結果、北朝鮮政府内で新たな動きが生じるか見極めながら拉致問題の早期解決に向けて北朝鮮への働きかけを強めていく考えを示しました。

山谷拉致問題担当大臣はこのように述べ、外相会談の結果、北朝鮮政府内で下関商業は同点の3回、4番坂口。 打ってやるぞと気持ちの籠もった一振りはサヨナラヒット。 敦賀気比と初出場の大阪偕星学園がそれぞれ2回戦に進みました。 芸能界を引退後は結婚されて相撲部屋のおかみさんとなった高田さんですけども今回の復帰に関して親方は何かおっしゃっていますか?とても喜んでくれていて今朝もお相撲さんたちがおかみさん、頑張ってねって送ってくれました。 元気ですか?田原俊彦さんビッグヒットメドレーでした。

一番最初にスターになった森昌子さん。 成長しました発売から1年渥美さんの地道な努力が実を結び有線放送のリクエストによって爆発的な売り上げを記録しましたここNHKホールから放送されていた人気番組「レッツゴーヤング」その司会といえば石川ひとみさん曲はもちろん「まちぶせ」聴く人の胸を打つラブソングの名曲ですもともとはチョコレートのCMソングでしたとろけるような愛の世界をダイナミックな歌声で歌い上げる松崎しげるさんありがとうございました。