ブラタモリ「#17 博多」

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この番組のまとめ

江戸時代を中心に博多の歴史を研究しています。 江戸時代の地図を見ると博多と福岡の境に石垣が描かれています。 「博多誕生のカギは“高低差”にあり」。 そんな博多の誕生と 高低差はどう関係しているんでしょうか?♪~今 ここですね。 こちらがですね…え~!博多の町を貫く 全長2キロの大博通り。 なぜ この通りを太閤町割の基準としたんでしょう?ここで ちょっと…そうですか。 え~ 今でいうところ港から博多駅なんですけども当時は ここが港かどうか分からないですよね。

こうやって見るんですけど大体 博多は…痕跡を探しながら2つの砂丘をつなぐ場所へ池ですか。 我々 博多遺跡の調査してですね何次調査 何次調査…例えば このビルだと「40次調査」と言うんですけどもそういう事になるよね。 田神社の高低差は当時 この辺りが港だった事を示す痕跡なんです。 平安時代後半 宋との唯一の外交窓口となった博多はこの港を拠点に日本最大の貿易都市になりました。

聖福寺800年の歴史を物語るお宝の数々。 どうですかこれ ついてみませんか?えっ! これは朝鮮の鐘ですか?一応 国の重要文化財ですが。 ここが聖福寺です。 室町時代末期の聖福寺周辺を描いた絵図。 ここに描かれていたのは聖福寺を中心に発展した町並み。 これこそ 太閤町割より前にあった町割の姿なんです。 実は…太閤町割の時に 新しい基準に合わせて つくり直されたので斜めになっているんです。 上から見てみると確かに聖福寺の境内で見た石畳とほぼ同じ角度で曲がっています。 「聖福寺ライン」ってやつですね。