金曜eye「幻の名作 発掘大作戦」

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この番組のまとめ

これらの番組が放送されたのは…実は そのころの…そこで スタートしたのが…全国各地から2年間で4,000本もの貴重な作品を発掘。 お前か!「たかが テレビ」と ほざいたのは!お前には特別に テレビの本当の面白さを教えてやろう!いいから ついてこい!あっ ちょっと!ここは NHKに保存がなくもう二度と見る事ができないと思われていた幻の番組を発掘しておる現場じゃ。 撃て~!大村益次郎は村の医者でありながら新政府軍の司令官にまで上り詰めた 異色の人物。

連絡をくれたのは 教育委員会の…資料室を整理している時にたまたま帰るか…。 当時 地元の英雄の映像を残すべきだと考えた山岸さんは教育委員会に1台だけあったビデオデッキの前で河井継之助が出てくる度に録画ボタンを押したのだといいます。 幕末の長岡藩を支えた家老河井継之助。 取り次ぎは できんぜよ!新政府軍と話し合いを行ったのがここ 小千谷市にある慈眼寺です。 小千谷の人々に河井継之助の生き方を伝える貴重な映像となったのです。

♪~めったに テレビで歌わなかった昭和の大スター 石原裕次郎がワンマンショーに出演した1975年の貴重な映像。 どうですか?例えば 昔の映画のね「カラブランカ」じゃないけど ハリウッドの…。 向かったのは山梨県石和温泉にある老舗旅館。 今回 父親の伸介さんが自ら撮りためていたテレビ番組の テープを提供してくれるというのです。 伸介さんが亡くなったあと膨大な遺品を受け継いだもののその保管場所に困っていた伸一さん。 それでは 三波伸介さんが10年にわたって座長を務めたこの人気番組を どうぞ。

だから お客様を チャンネルそのままくぎづけにするにはどうしたらいいかっていう事を考えるためにも…しかし 1982年 三波伸介さんは人気絶頂の さなかに倒れ帰らぬ人となりました。 父の死から 17年目の命日志を継ぐために息子は…今は 父と同じ喜劇役者として舞台に立ち 稽古に励む毎日です。

それがね 何だろう 今考えるとすごく懐かしい気がしてテレビが 間を取り持ってくれたっていうか 和解させてくれた化学反応があんまり起きないんですよね。 ここ?さあ 行ってこい!うわ~!戦後 日本の漫画界を リードしてきた天才 手治虫。 下崎さんが大切に保管していたのは1969年の お正月に放送された番組のフィルム。 手さんは科学的知識と想像力をもとにこの月面のシーンを 描き上げました。 人々が本物の月面の世界を目の当たりにするのは1週間後 音声を収録する日がやってきました。

この小さいのは何だい?私の電子頭脳です。 電子頭脳ですよね。 電子頭脳でもあり 結局好奇心でしょうね。 最後に 宇宙の果てっていうのは恐らく人間にはもう ずっと分からないんだよって投げかけちゃうのが人間とか全部分かった気になってるけど「でも 実は違うんだよ。 第一線で活躍するゲストがお気に入りの一冊を紹介する「マイブック」。 物事の決断って事は子どもでも 自分でするもんだという事を世界に誇る映画監督黒澤 明さん。

俳優で エッセイストの伊丹十三さん。 理想像 永遠の女性像というのは事細かに決まってるのね。 髪が長くて 目がきれいで色が白くてですね気立てがよくて お料理が上手でってな事 全部決まって完全な女性像を持ってるわけ。 僕は ちゃんとドストエフスキーを読んでねそれから こう景色を見渡すんだけども全然変わって見えないわけ。 すごい方々が インタビューに応えてらっしゃいますよね。 やっぱり 何か語るっていうか話をするって事はすごく大事な事だし言葉というのは そういう意味で言葉を使うという技術ですか…。