NHKアーカイブス「火の山と生きる~火山列島日本・どう向き合うのか〜」

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この番組のまとめ

現在 全国で 10を超える火山に噴火警報が出されています110もの活火山を持つ日本。 NHKには 火山と共に生きる人々を描いた番組が噴火が起こる前に住民が避難を終え一人の犠牲者も出さずに済んだ…火山を見つめ続けてきた人々の記録をひもとき知恵と教訓に 耳を傾けます早速 ゲストの方をご紹介致しましょう。 京都大学助教授桜島火山観測所の所長である。 震度6の烈震で始まったえびの吉松地震は霧島火山の山麓である。 桜島と関係の深い霧島火山帯の一角の地震だけに昨日から 少しまた 地震が多いようですね。

ただ 過去の例ですね例えば 大正2年の真幸地震いうのがございましたね。 だが 結果として 桜島島民に科学不信の気持ちを植え付けてしまった。 13年前 桜島へやって来た若い科学者 吉川さんが最初に島の人たちから見せられたのは科学に恨みを込めたこの爆発記念碑だった。 深遠な地球の謎に研究者としての興味を覚え始めたのと 時を同じくして昭和30年 桜島南岳が活動を開始。 そして 防空ごうの跡に1台の地震計を据え裸電球の下で 鳴動を続ける南岳の観測を始めた。

霧島火山帯は 開聞岳から更に南へと延びる。 鹿児島で ただ一人の火山学者である彼は講演を頼まれる機会が増えた。 それから もう一つは開聞岳の付近になりますとこれは 昔はそう 人も訪れなかったですが今は もう ご存じのとおり大変な人が参ります。 開聞岳は もう1,000年ぐらい噴火しておりませんから火山が噴火したといったら 後へたくさんの調査隊が参ります。 吉川さんは 来年度新しく 吉松町と開聞岳付近に人間が生活する大地の下の事はほとんど何も分かっていないのである。

噴火予知のために 遠くでデータだけとるんじゃなくてそこの現地に暮らして観測しながらまた五感で変化を感じようとした吉川さんの この活動ですねこれは 噴火予知の中ではどんな業績と言えるんでしょうか。 この吉川さんがやられた事が言ってみれば この桜島の噴火予知の礎を築いたとですから 吉川さんの後を継いで後進の研究者の方々がまさに その後の桜島の動きというものをですね現代的な観測も含めて進めてきているという事なんですね。

有珠山周辺には 数万人もの観光客が訪れていました。 当時は 有珠山の研究も十分には進んでいませんでした。 以後 20年にわたって有珠山を見守り続け有珠の主治医と呼ばれるようになります。 有珠山っていうのは やっぱり場合によっては 非常に危険な恐らく日本中 あるいは世界中でひょっとすると 一番 たくさん人を殺してしまうかもしれない。 雲仙の大災害のあと有珠山の地元の住民たちにこれまでになかった動きが起こります。 観測所の岡田さんのもとを洞爺湖温泉の観光業者や商店主たちが訪ねました。

1993年7月北海道南西沖地震が発生。 奥尻の災害から1年たった1994年8月岡村さんは 自らが主催した地元消防組合の研修会で運命の挨拶に臨みます。 防災対策の遅れを 何より心配してきた岡田さんにとってこの集会は特別なものになりました。 防災マップは岡田さんたち研究者が早くから その必要性を訴えていたものです。 現地で開かれた北海道の防災関係者の会議に虻田町長 壮瞥町長 伊達市長の出席を求めます。 会議を受け 町長たちは危険地域に避難指示を出します。

30日の夕方までに洞爺湖温泉を含め避難指示の対象となっていた全ての住人 1万人余りが有珠山は23年ぶりに噴火しました。 有珠山っていうのは 言ってみれば言葉はよくないけどたちのいい火山でね噴火が発生する前には必ず 山の直下で地震が起きるんですよ。 この有珠山の温泉街の方々に7~8年前にお話を伺った時にそのあとの噴火に 十分 知って備えておけば大丈夫なんだと。