ファミリーヒストリー「塚地武雅~謎の防火水槽 父が遺(のこ)した言葉〜」

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この番組のまとめ

ある時はお笑いコンビドランクドラゴン。 ドランクドラゴン 塚地武雅のルーツが今 明らかになります。 塚地家は 先祖代々この土地で暮らしてきました。 塚地家の記録をたどると江戸時代に遡ります。 かつて塚地家があった場所を案内してもらいました。 江戸時代 街道沿いには旅の目印となる 一里塚がありました。 塚地家の歴史はここから始まりました。 戦時中 空襲に備え各家に置かれた防火水槽。 防火水槽の販売が軌道に乗り始めた昭和16年。 かつて塚地家が暮らした大阪でねえ これ 形が ここらがね。

塚地武雅の父 武志のふるさと高知 入野の海です。 地元の高校を卒業後 大阪に出て大手製鉄所に就職した武志。 今年2月大阪で亡くなった弟の武志さん。 兄弟3人で大阪に見舞いに行った時武志さんはこう話したといいます。 2年前に亡くなった母方の祖母 イサコ。 晩年 イサコは武雅の実家で暮らしました。 塚地武雅の祖母 イサコはどんな人生を送ったのか。 当時 イサコは出稼ぎに出ていました。 藤正は 高校卒業後姉のもとで 技士として 働いていました。 農家の出だったイサコが 曽木家に嫁いだのは 昭和15年の事。

あ~ 写真!イサコのアルバムに仕事を探していた時の写真がありました。 繊維会社の社員となったイサコは朝から晩まで働きます。 平成25年8月イサコは ふるさとから遠く離れた大阪で 亡くなりました。 夫と別れたあとも 曽木の名字を捨てる事はありませんでした。 「私は もう曽木で死にたいし曽木のままでいたいから」というのは いつも言ってたんで。 「私は 一生 死ぬまで 曽木でいたい」っていって言ったからね。 22歳の時曽木家の嫁となったイサコ。 ああ ほんとだね曽木って書いてある。