シンガーソングライターの八神純子さんです。 八神純子さん4年前に音楽活動に復帰されました、活動を続けていらっしゃいます。 八神純子さんで「みずいろの雨」。 八神純子さんは今回音楽活動、音楽番組ではなく旅番組に出てくださったということです。 歌手やタレントの皆さんが東北地方の魅力を再発見して応援しようという番組です。 サプライズでコンサートに登場しました。
いわきの街なかコンサートはいわきの人たちだけではなく日本全国のアマチュアもプロもみんな集まってくるというコンサートです。 去年は原田真二君と一緒でした。 高校1年生のときプロ歌手を目指すためボーカルスクールに通い始めます。 そして、その年のポピュラーソングのコンテストに出場。 みずから作詞作曲した「雨の日のひとりごと」を歌い優秀曲賞を受賞します。 自分で作詞・作曲?これが初めて作った曲です。 坂本九さんが司会をされている世界共催に出られるんです。 そこに出るとフルのオーケストラで武道館で歌えるんです。
そして、デビューから2年後の1980年には「NHK紅白歌合戦」に初出場しました。 ♪「どこにいても」♪「Love youmore and more」♪「Purple town」♪「Purple town」1980年でした。 実は八神さん「紅白歌合戦」に出てとてもうれしかったことがあるそうです。
以降、アメリカを拠点に音楽活動を続けます。 アメリカの生活で母親の仕事ってとても大事な仕事が1つあってそれは車で子どもたちをいろいろな場所へ連れて行くんですね。 震災後、私はちょうど3.11、あの日に私は実はアメリカから日本に帰ってくる予定だったんです。 それはアメリカにいて子どもたちが小さかったのでなので今回はそれがすごく後悔であのとき行けばよかったと何度も思っていたので東北の被災のときには最初は南三陸町という場所で。
アメリカで、これで30年近く暮らしているんですけどやはり何かトラブルがあったらアメリカが助けに行くみたいなねそんな国なんですけど、そこにいる間に自分の思いをストレートに伝えるような歌詞に変わっていって。 本当に数え切れない場所でいろいろ歌ってきて、いろんな方と巡り会ってそのシチュエーションによって歌って全然違うんだなって例えば商店街にカラオケを持っていったんですけどラジカセが運ばれてきて、ラジカセにカラオケを入れたら壊れていたんです。 ジョギングが日課という純子さん長く続ける秘けつはありますか。