タモリさんの予想どおり 江戸時代の中山道に とっても詳しい方です。 早速なんですが 今日 軽井沢までどうやって来られました?どのぐらい かかりましたかね?そうですよね。 江戸から軽井沢を通って京都へ向かうのが江戸時代の初めに整備された中山道です。 でも かつては大変な道のりだったって♪~早速 難所という碓氷峠の頂上近くまでやって来た タモリさん。 江戸時代は 上州と信州2つの国の神職が1年ごとに交代で管理をしたと言われています。 軽井沢との標高差は 200m。
地形図で見ると 確かに等高線の間隔が広い部分つまり 緩やかな部分を選んで中山道が通っているのが分かります。 なだらかな地形を選んで中山道を整備した事こそ軽井沢へ向かう峠を越える工夫だったんです。 江戸時代まっすぐな中山道に沿って奥行きの長い町割りが規則正しく並んでいました。 それでは 江戸時代の峠越えの様子ちょっと のぞいてみましょう!続いて 明治時代の峠越えの工夫が分かる場所にやって来ました。 碓氷峠鉄道文化むらの赤田でございます。 中でも 碓氷峠を越えて軽井沢を目指す鉄道についてとっても詳しい方です。
それが 鉄道で軽井沢を目指す時一番の問題でした。 見に行きましょう!峠を越えた 特別な機関車が今も残る場所へ向かった タモリさん。 これが明治時代 最初に投入された峠越えの秘密兵器 アプト式です。 でも アプト式の機関車ってどんなもんなんでしょう?ええ そうです。 では 先ほどのお約束のアプト式の機関車。 明治26年アプト式を取り入れる事でようやく 碓氷峠を鉄道で乗り越える事ができました。 手袋まで はめてますから…なんと タモリさん本物の機関車を運転しちゃうんです。