海を越えたアメリカン・プリンセス「第1回 英国貴族への持参金」

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この番組のまとめ

イギリスウィリアム王子の妻 キャサリンさんは2015年3月 ドラマ「ダウントン・アビー」の撮影現場を訪れました。 20世紀初頭の イギリス貴族の世界を描いた このドラマ。 イギリス貴族にとって一族に流れるアメリカの血は後ろめたい秘密です。 19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて200人を超えるアメリカ人女性がイギリスの貴族のもとへ嫁ぎました。 これは 持ち前のバイタリティーと財力でイギリスの支配階級に風穴をあけた美しきアメリカ人女性たちの物語。

フランスは ナポレオン3世とスペイン生まれの妻 ウジェニーの統治下にありました。 コンスエロとジェニーは 富裕層向けの学校での知り合いです。 しかしジェニーとコンスエロのパリでの生活は突然 劇的な終わりを迎える事になります。 パリへ来て 3年が過ぎジェニーの姉が幸せな結婚をしようとしていたちょうど その時フランスとプロイセンの間で戦争が勃発。 ここで ジェニーたちが考えたのはイギリス社交界へのデビューでした。 莫大な富を持つ ジェニーとコンスエロ。

アメリカ生まれのジェニーにはイギリスのライバルたちに比べて決定的に有利な点がありました。 アメリカ人女性に独特の魅力を与えたもの彼女たちを イギリスの娘たちとは別格の存在にしたもの。 舞踏会には マールバラ公爵の三男24歳のランドルフ・チャーチルも出席していました。 ワイト島から戻った ランドルフは公爵夫妻に結婚の許しを請いましたが両親の反応は予想したとおりでした。 ランドルフは情熱的でしたが 主導権を握っていたのは ジェニーでした。 ジェニーとランドルフはパリのイギリス大使館で結婚しました。

アメリカ人女性は 先住民族とコーラスガールをミックスした異国の生き物だと思われていると語っています。 アメリカン・プリンセスを探そうと心に決めます。 7代目マンチェスター公爵の長男マンデヴィル子爵。 そしてニューヨーク州北部のサラトガスプリングスでコンスエロ・イズナガと出会い恋に落ちます。 一方 公爵も コンスエロをアメリカの野蛮な娘と呼びました。 宛先は「ロンドン デンマン・ストリート ペリカンクラブマンデヴィル子爵」となっています。

コンスエロ・イズナガがマンデヴィル子爵と結婚して10年余り。 1つ目は同棲相手のベシー・ベルウッドがランドルフとジェニーのチャーチル夫妻もまた別居中です。 しかし ランドルフは政府の要職に就いた6か月後突然 辞任してしまいます。 ランドルフをしばらく遠ざける事にして夫を世界旅行に連れ出しました。 ロンドンに戻って ひとつき後ランドルフは 息を引き取りました。 ランドルフの死後 議員用のマントを引き取りに来た人にジェニーは こう言いました。