昭和の大横綱が 先月人生の幕を下ろしました。 引退後は日本相撲協会の理事長として人気が下降していた角界の再建に尽くしました。 そして 日本相撲協会の理事長としてもそして 同じ三保ヶ関部屋でしのぎを削ってこられた大関増位山増位山 太志郎さんにお越し頂きました。 更に 二十歳で大関昇進そして横綱昇進が 21歳2か月というこれは 現在も破られていない大記録です。 昭和48年九州場所 六日目横綱 北の富士との対戦。
また 輪島さんという人がいたから自分なりに攻略するために いろいろ稽古して相撲取ってこれたってのがやはり 24回優勝につながっていったと思います。 横綱 吊り寄りで攻める!その後は甘いマスクの人気力士 若三杉後の 2代目若乃花の前に立ちはだかり5場所連続優勝。
新しい両国の国技館が完成するのを楽しみにしながら相撲を取ってきた北の湖がそこで引退という事になったわけですが最後のシーンで増位山さんが師匠として止めばさみを入れました。 やはり 他の部屋の師匠としても北の湖という存在は大きかったんでしょうか?それはもう実は NHKの大相撲中継の視聴率歴史上 トップと2番目はこの2つの取り組みです。 若くして引退ですがそのあと 48歳で理事長に就任しました。 そして もう一度 理事長に就任するわけですがまあ しかし 理事長時代も苦難の連続でした。