武士の家に生まれた道三を医者へと導いた 師匠との別れ。 この建物自身は江戸時代の前期なんですが当時においても…およそ500年前道三が学んでいた頃 作られた孔子の像。 道三も こうした環境の中医学と出会ったと考えられています。 そんな中 道三は 一人の医者と運命的に出会います。 田代三喜は…それぞれの患者さんの症状にあった新しいオーダーメードの処方を作る能力があったから母上 父上ついに 私は見つけました。 道三の自伝にはこの三喜との出会いが本格的に医学を学ぶ始まりだったと書かれています。
こうした中 登場してきたのが曲直瀬道三やその師 田代三喜のように合理的な治療を行うお医者さんだったのです。 では 道三殿早速 大殿の御容体を。 道三殿 血にまみれた わしの命は救えぬか?躊躇する 道三の心を見透かしたように元就は言います。 曲直瀬道三という人は…そのツボの組み合わせあるいは やり方というのは…危機を脱した元就は尼子氏の本城…心の声たとえ この乱れきった世でも医者の私に できる事が何かあるやもしれぬ。 その後 道三は都に戻り…戦国の医師 曲直瀬道三の功績は治療だけではありません。
子供の病気には「築賓」というツボにお灸をするとよいなどともたくさんの人が道三の門をたたき…中でも道三が目をかけていたのが全宗という僧侶。 既に 薬に関する基礎知識は身につけていた全宗でしたが少しでも 新しい医術を学ぼうと人一倍熱心に道三の診療を手伝います。 ところが 信長が亡くなり後継者として秀吉が台頭してくると道三と全宗の関係に変化が現れます。 積極的に 秀吉に近づいた全宗はすっかり気に入られ間もなく…そして 秀吉の許しを得て帝のいる御所の近くに「施薬院」という病人の治療を無償で行う施設を開きます。