あなたの知らない!江戸のヒーロー 大岡越前

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この番組のまとめ

番組の冒頭にもありましたけれどもお話がありまして それを「大岡政談」というんですけどそれが まあ 江戸時代 庶民の間で大人気になりました名奉行だったのは本当の事?そうです。 こちらは さまざまな商業施設やそう 南町奉行 大岡忠相はちょうど この辺りに奉行所を構えて裁きを行っていたんですね。 この石は 再開発工事の際に南町奉行所跡地からこれは 穴蔵と呼ばれ大切な書類を入れるためのもの。

「大岡越前守忠相ガ 奉行所ニ於テ断獄ノ際忠相は公正な判断をするため目を閉じて ヒゲを抜き 訴訟の言葉だけに耳を傾けていたのです。 あのね ドラマの中でも数々 いろんな時代劇の中でいろんなお奉行様出てきますけど 中にはですよたった5分ぐらいで ペッとやってパッと もう あの~お前は 打ち首とか言っちゃうお奉行様もいる中大岡越前は 比較的やっぱり 余罪ことごとくって一つ 大きな問題が起こる訳です。

平均的に在任したのは大体 8年ほどなんですが息子さんの忠相さんは どれくらい在任したと思われますか?この 本当に 在任期間の長さというのが 町奉行といえば大岡様というイメージにつながったのかもしれませんね。 ♪~え~い 神妙にせい!すご~い!相対する道具であるという事が江戸時代の記録の中にも出てきます。 町奉行が 同心と水杯を交わして万が一 死ぬような事があればちゃんと 息子に家督を継がせるからという事を約束して送り出したといわれてます。

ドラマにも登場する小石川養生所は大岡忠相が 吉宗の命を受けて設立した 医療施設。 医者にかかるお金もない人々を無料で受け入れ満を持して大岡忠相が この小石川養生所を作ったんですが最初の頃ものすごく評判悪かったんです。 しかし そこで 大岡忠相は何をするのかというと江戸中の名主たちを集めてそしてこの小石川養生所の見学とかをさせる訳なんですね。 小石川養生所を作った 10年ほどあと一冊の本に目を留めました。 この地で試作に成功したサツマイモはそれを 下に浸透させるっていうやり方 見事ですよね。

ペリーさん 時代劇の中で居酒屋のシーンというのはよくあるんですか?よくぞ聞いて下さいました。 居酒屋なくして時代劇なしというぐらいですよ。 特に 事件物なんかはバラバラに探索してきた人たちが居酒屋に集まって 情報交換をしたりするじゃないですか。 江戸時代初期はもう ほとんど 外食の文化はありませんでした。 江戸時代の真ん中の頃からこの江戸で外食の文化が発達していくんです。 江戸は 当時は男性と女性の人口比が大体 1対1.65。 独身男性が たくさんいたのでそこで 外食文化というのが発達した訳なんですね。

享保の頃 江戸の人口は急増し従来の大名火消 定火消だけでは町を火災から守る事が難しくなっていました。 江戸の町を 48の地域に編成し町民の町民による町民のための防火組織江戸いろは四十八組を創設しました。 東京・四谷にある消防博物館には当時の町火消の様子が分かる資料が残されています。 更に 忠相は 町火消たちの士気を高めるためたちまち 江戸の人気者となり粋で いなせな江戸っ子の代名詞となりました。