4月3日までスタジオパークでやっています。 スタジオパークからこんにちはスタートです。 スタジオパーク初登場。 覚えています、オリンピック柔道で3連覇。 オリンピックでは1回も負けていないということですよね。 それぞれ思い出があるんですけれど4年に1回という時間があって体も価値観も変わるのでそう考えると3回目のアテネオリンピックが自分にとっては重たいオリンピック重たい金メダルですね。 野村さんの柔道人生に迫っていただきましょう。 野村忠宏さんは、1974年奈良県生まれ。 中学生になると柔道部に入部。
周りの人は70kg80kg高校は柔道の強豪天理高校に進学。 このときに初めて高校2年生のときに父親から柔道のアドバイスを初めてもらったんです。 組んでやるというのは、お父様のひと言は大事なひと言だったんアトランタオリンピックの男子60キロ級の代表選手となります。 このときはオリンピックを目指そうというつもりでやっていた感じですか。 シドニーオリンピック次のオリンピックに出られたらいいなと思ったんです。 オリンピックの金メダルが3つ並んでいるというこのスリーショットはなかなかないですよね。
野村さんは毎回オリンピックごとに験を担いであることをされていたそうです。 自然というかね年を重ねて、けがを重ねて力が落ちてきて自分の弱さを認めなきゃいけないし自分が戦えるステージも客観的に判断しなきゃいけなかったんですけど衰えゆく中で何十年もかけてきた柔道の技術というのは、本物だという自信はあったのでチャンピオンにはなれないかもしれないけれど今できる30半ば、40歳の最高の柔道って何だろう今できる最高の柔道を求めたいという思いで毎日やっていました。
戦わずして引退というのもあったんですけどここまでやってきたから最後はぼろぼろでもみんなの前で、ひと勝負してくれて世界のチャンピオンとして戦わせてくれたおやじも勝負の世界で指導者としてずっと生きてきて最後は涙を流してオリンピックで金メダルを取ったときもうれしかったけどきょうの試合はそれ以上によかったと最後におやじに認めてもらったというか褒めてもらって。 「柔道部物語」という漫画に影響を受けてきたんですね。 小林まことさんの「柔道部物語」との関係を探っている番組です。
ここではリアルな中学高校柔道部生活も描かれているらしくて。 先輩後輩の理不尽なものがあったり柔道部あるあるがよけいに感情移入させて、楽しく。 私たち「柔道一直線」だけれどもね。 知っていますよ「柔道一直線」。 これはリアルな柔道部が描かれているということでございます。 スポーツキャスターを去年の11月、1か月間マンスリーキャスターとして出演していただいたんですがその様子をご覧ください。 今月のマンスリーキャスターはオリンピック3連覇、そして8月に現役を引退された柔道の野村忠宏さんです。
そんな野村さん、もう1つの第二の柔道人生がこちらです。 お子さんだけじゃなく世界的に自分の、野村の柔道を求めていただいているので海外に行っていろんなものを見ながら、強いクラブ田舎の片田舎でやっている小さい道場などいろんなところを回ってみたいなとその中で、技術もそうだし柔道から学んだ心というのもいい形で自分も勉強しながら伝えていけたらすごい幸せだなと思います。 野村選手の子どものときはどういう気持ちで柔道をしていましたか?僕は6歳です。