明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第49回「岩手県釜石市」

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この番組のまとめ

岩手県釜石市は明治時代に操業した製鉄業と豊富な海の幸に恵まれた漁業を中心に発展してきました。 2011年3月11日釜石市の中心部を高さ8mに達する津波が襲います。 釜石市は 急きょ ここを遺体の安置所に指定しました。 ほとんど眠れないままに夜を過ごした小泉さんは翌朝 遺体安置所に指定された旧釜石第二中学校の体育館に向かいました。 安置所には幼い子供の遺体もあり津波の時 多くの人々が逃げ込んだ高台の寺…避難者の世話の合間を縫って芝さんが安置所を訪ねたのは震災から3日後の事でした。

石巻市では 震災から1週間後土葬を始める事を市長が発表します。 石巻市では土葬の準備が始まりおよそ1,000人分の遺体を埋める穴が 用意されました。 3月19日 野田市長は医師や僧侶といった 遺体に関わっている人たちを集め土葬を始めるべきかどうかについて意見を求めました。 3月23日 宮城県の石巻市では土葬が始まりました。 西村さんの会社は石巻市から頼まれて土葬の作業を行いました。 今回の土葬は 「仮の埋葬」なので遺体は 時間を置いたあと遺族が見守る中棺に入った遺体を丁寧に置いていきました。

横手市では3つの火葬場をフルに動かし釜石から 96人の遺体を受け入れました。 見知らぬ土地で火葬を行う遺族の不安を少しでも和らげるために地元の僧侶も3つの火葬場に交代で通い供養を行いました。 遺族たちは火葬が終わるのを待つ間3月28日名須川さんの兄 正司さんも横手市で火葬されました。 横手市などの協力のおかげで釜石市の火葬は予想以上に進みました。 火葬が順調に進み遺体の数が減っていく中で身元不明の遺体の火葬にも協力してくれました。 火葬には立ち会う遺族がいないので釜石市の職員が同行し骨を拾ってきました。