ファミリーヒストリー「森山良子~日系2世の父 2つの祖国のはざまで〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

裏を見ると「森山写真館小倉市宝町65番地」の文字が読み取れます。 誰もが 一度は目にした事がある坂本龍馬や 高杉晋作のこの写真は彦馬の写真館で撮影されたものです。 この中に 父 國藏から写真館を継いだ長男 菊太郎の姿が見つかりました。 小倉で 130年以上続く会社に森山写真館で撮った写真が大切に保管されていました。 あの~ 古い写真を整理していたらですねこういったガラスの写真が出てきましてこちらの中を開けるとこちらに 森山写真館さんのマークが入ってました。

1901年 写真修業のために渡米した 祖父 三郎。 アメリカ社会に懸命に溶け込もうとする三郎。 写真の修業は どこでしたのか?手がかりを探していたところ三郎の長男 巌が残した手記がアメリカで見つかりました。 写真家としての基盤を固めた三郎は 櫪と結婚。 アメリカの軍服を着させて撮った写真が残っています。 1928年発行の写真専門誌「カメラクラフト」で写真を見てもらいました。

アメリカ生まれの二世は 日米両方の国籍を与えられていました。 日本のジャズ史を研究していたアメリカの大学教授が1934年3月 24歳の時久は 日本に旅立ちます。 音楽評論家の瀬川さんは戦前 浅草の劇場で陽子の歌声を聴いています。 ロサンゼルスから来た二世のジャズマンティーブ釜萢です。 東南アジア各地に進駐した日本軍を音楽で慰労する南方慰問団に徴用されていたのです。 南方慰問団に久と共に加わっていた佐野 鋤さんの息子それで 南方 行ってる時の船の中の事とか書いたこれ日記なんですよ。

連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが来日。 そのころ 久は原爆投下直後の広島にアメリカ人と共に入っていた事が分かりました。 9月に広島入りしたカメラマンは…原爆投下によって 何もかも消え去ってしまった広島の町。 やけどや放射線の影響に苦しむ人々に カメラマンの要求を伝え広島から戻ったあと久は 進駐軍のクラブでジャズを演奏する事になりました。 連合国軍最高司令部宛てに書かれた 久直筆の嘆願書が残っていました。