震災後 避難生活を送る担い手たちを訪ね歩き再開を後押ししてきました。 今日は 福島県の民俗芸能について考えていきたいと思います。 震災後の放射線量人口減少率など客観的データに基づき先入観に とらわれないよう福島の現状を発信し続けています。 一緒に今日進行を務めて下さるのが福島県の民俗芸能の研究を長年 続けていらっしゃる懸田弘訓さんです。 もともと 民俗芸能といいますのは無病息災 五穀豊穣基本的には この2つを祈願するために 演じてるんですけどね。
それは 災害公営住宅に移った人々にも神楽を届ける事。 やって来たのは…浪江出身の人たちだけではなく桑折町の住民も招き今後の交流を手助けしようというのです。 川添の場合は比較的 若い方がいい形で代替わりができたという事ですがそうじゃない所も…そこら辺の担い手不足が故郷へ帰る見通しが立ちづらいなくなってしまうとやってた人間としてはちょっと寂しいところはあるかなっていうのは 正直な気持ちです。 秋田県男鹿市の 「なまはげ」ご承知のとおりだと思います。 日本海に突き出した半島に位置する 秋田県男鹿市。
3時間半かけて真山地区の全ての家60世帯ほどを回りました。 真山なまはげ伝承会会長の菅原さんと生き物ですよね。 担い手はどうやって対応していけば?今 ずっとね皆さんのお話 聞いたりここで もう一組復興サポーターを ご紹介します。 20年間にわたり途絶えていた民俗芸能を復活させた担い手たちです。 この神社が発祥の民俗芸能に託そうと考えたのです。 鹿島踊には そうしたふるさとの記憶が刻まれているのです。 吉野さんは長男の榮喜さんと共に鹿島踊の復活を思い立ちます。
最終的に 何か演じたり練習したりっていう事よりも実は そこで集まって新しいコミュニティーが出来ると。 昔 顔なじみの方が集まってそこで いろいろな事を苦労しながらも一つの芸能を完成させていくと身につけていくとその過程でやっぱり 今の言葉では絆が深まる 郷土理解が深まる。
自分たちのお祭りをしてそして楽しんでそこのコミュニケーションだけだったんですが津島であったり請戸さんであったり双葉さんであったり本当に なくなりそうなものと一緒に一つのイベントができてまた そこで集まった時のコミュニケーションができてくると思うしこれから 単独ではなくてねもっとグローバルに皆さんの活動を広げるように何か そういう場所があってもいいのかなって。 震災と原発事故の影響で住んでいた地域を追われて近所同士も離れ離れになった中民俗芸能が 最後に残ったふるさとのよりどころだと語る福島の人たち。