核兵器廃止の動きも進みません核兵器廃絶に人生をささげた人がいました親交のあった物理学者アインシュタインからの呼びかけが きっかけで科学者の立場から核廃絶のために闘う事を決意します。
第2次世界大戦中原爆の開発を後押しした事をアインシュタインと湯川はばく大なエネルギーを生み出す核の恐ろしさについて連日 語り合いました。 水爆の開発にはアインシュタインが危惧したように多くの科学者が関わっていました。 湯川と同時代を生きてきた物理学者の伏見康治さん。 湯川たち 11人の科学者が署名した「ラッセル・アインシュタイン宣言」。 世界の科学者が一致団結した事に湯川は 明日への希望を感じていました。 湯川は「核抑止論を 一旦 認めると核兵器は 更に拡散していく」と警鐘を鳴らしました。
湯川先生は 核兵器というのは絶対 人類と共存できない絶対悪だっていう事を繰り返し言われてた。 湯川先生のそれが核兵器についての原点でありそれが ある意味では全てなんですよ。 だから 決して「理想 理想」と思って「将来 いつか いつか」って夢を見てただけじゃなくてそれは やっぱり理想というのは現実になりうるんだっていうそういう信念みたいなものが湯川先生には あったと思います。
ラッセル・アインシュタイン宣言から20年もたつのに核廃絶への道を妨げてきた最も重要な因子の一つは代わりに議長を務めた 朝永振一郎が湯川・朝永宣言への署名を呼びかけました。 そこで 朝永は 湯川と事前に相談して決めていた日本人の物理学者が原爆投下直後の広島と長崎を調査した時に撮影されたフィルムです。 会議の最終日 核兵器全廃を強く訴える 湯川・朝永宣言に出席した科学者のほとんどが署名しました。
湯川の晩年も 核保有国による垂直の拡散が悪化の一途をたどりました。 日本では 1981年元駐日大使の発言がきっかけでアメリカの空母による核兵器持ち込みの疑惑が浮上しました。 そして アメリカは 標的を限定的に破壊できるという去年5月 世界153か国が集まり核の拡散を防ぐための国際会議が開かれました。 湯川と 40年近く行動を共にした物理学者の豊田さん。 2006年放送の湯川秀樹の「ラストメッセージ」。