♪~「アンタ あの娘の何なのさ!」♪「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ダウン・タウン・ブギウギ・バンドで一世を風靡した 宇崎竜童さん。 伏見に大きな紙問屋を築いたのが竜童さんの祖父 佐市郎。 貴族の荘園があったという南北朝時代打田は 南朝 後醍醐天皇について戦いました。 12歳の佐市郎は 頼る者がいなくなり 奉公に出ます。 佐市郎が初めて見た明治時代の伏見も生き馬の目を抜くあきんどの町でした。 これがですね…佐市郎が奉公に入ったのは 当時はかりを売っていた安本商店。
時代劇の二枚目俳優として活躍した長谷川一夫は明治41年 伏見に生まれています。 まだ 長谷川一夫が小さい時に「お前の初舞台は ここだ」と言われたという事を5歳違いの2人は共に伏見で育ちました。 そんな時代に 藩士の一人だった竜童さんの曽祖父 大橋又兵衛。 非業の死を遂げた父又兵衛から一字を取り又一郎と名付けました。 大正7年又一郎は 全国から エリートが集まる東京の商船学校に合格。 官立の商船学校は 学費も生活費も免除される全寮制。 商船学校を紹介する当時の写真帳の中に偶然 又一郎の姿がありました。
又一郎も女たちと一緒に歌いました。 伏見の南條家の隣に 芝居小屋を持っていた 長谷川宗次郎。 大正11年 宗次郎の橋渡しで髪結いの一人息子は伏見の紙問屋の娘と見合いをする事になりました。 きみ19歳 又一郎22歳。 商船学校卒業生の名簿。 晩年の又一郎と 同じ船会社で働いていた窪田さん。 外国航路を 5年 乗ったあと又一郎は大きな決断をしています。 又一郎は26歳で大阪商船を依願退職。 又一郎は 海軍予備中尉として東京で軍務につき一家は小樽を引きあげます。