NHKアーカイブス「北海道新幹線 開業へ~青函トンネルに懸けた情熱〜」

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この番組のまとめ

そして その間に起きたオイルショックや国鉄の財政難により北海道新幹線の構想は凍結となったのです出水や度重なる事故により殉職者34名を出す過酷な現場となった青函トンネル。 さて こちらですねこれが 北海道新幹線の車両新青森から青函トンネルを抜けてサイドのラインが 北海道で咲く…床には 氷の結晶をイメージした柄を取り入れるなどポイント切り替えに支障を来す雪や氷を電気の熱で溶かすシステムや一瞬で吹き飛ばすエアジェットなどが新幹線では初めて 整備されています。

まず この太いトンネル これが完成後 列車の通るトンネルでそして 更に もう一つ深い所にあります このトンネルこれが 先進導坑と呼ばれているトンネルです。 そして この先進導坑があと6日でこのトンネルの中央部で貫通しまして本州と北海道側が 初めて地続きになる訳です。 昭和46年4月 政府は青函トンネルの本工事着工を命じた。 青函トンネル部分については将来 新幹線を通しうるよう設計上 配慮しておかれたい」。

この年は 一本列島とも いわれるようになって特に 北海道と本州とが陸続きになったという事で非常に 何と言いますか青函トンネルブームと言いますか随分 長い 棚上げの期間があったという。 ここに 青函トンネルの建設工事の半ばで命を落とした 34人の名が刻まれている。 「プロジェクトX 挑戦者たち」 今夜は本州と北海道を結ぶ青函トンネルを造った男たちのプロジェクトです。 この長い 難工事をさて この津軽海峡の海底にトンネルを掘るという壮大なプロジェクトは昭和39年1月に始まります。

日本一のトンネル屋と呼ばれていた。 普通のトンネルなら誰でも掘るんだけども海底トンネルを掘るっちゅうのは誰でも掘れる訳じゃないんだと。 とにかく 北海道と本州と…やはり陸続きになったっていいじゃないかというようなね海底という危険な場所での10年の仕事。 それが 主人と一緒になってこのトンネル掘ってきたの…北海道行きの連絡船に乗り込んだ。 青森側の地層は 北海道側に比べ極めて難しい事が分かっていた。 30人のトンネルマンとその家族およそ60人がここで生活を始めた。

トンネルマンたちは自分たちの手で棺を作り丘の上に建てた 小さな資材置き場に 遺体を運んだ。 トンネルマンとして 自分の掘った所を水で埋めてしまうというのはね泣きたいくらいに悲しいもんなんですよね。 出水現場から 60m下にトンネルの排水設備であるポンプ室があった。 翌日 全国各地のトンネルの工事現場から大量のポンプが届き始めた。

複雑な地層を事前に把握する技術や岩盤に 特殊なセメントを注入して水を止める工法などが開発された。 トンネルマンたちが掘り続けてきた先進導坑は貫通の瞬間を迎えようとしていた。 そうして トンネル一筋に 仕事をいちずに成し遂げたっていうのはね本当に私たちもやっぱり誇りですし…。 仲間の亡くなったのは…これは 私は亡くなった告別式の時に弔辞に約束したとおりですね必ず 北海道に連れて渡るんだと…。