え~ 今日は 沖縄の那覇市。 「那覇は2つある」。 那覇の歴史を研究して30年になる古塚達朗さんです。 国際通り。 はい 国際通り。 国際通りが?そうなんですね。 国際通りは 那覇の中心街を1.6kmにわたって貫くメインストリート。 戦前の那覇の中心街があった事が分かります。 タモリさんが向かったのは国際通りから1kmほど離れたところにある海岸です。 実は この岩の上にオールド那覇で重要な役割を果たした場所があるんです。
600年ほど前から那覇に住み始めた中国人は航路の案内人や通訳として琉球の貿易を支えました。 琉球王国時代 島だった那覇と都である首里をどう結んでいたんでしょう?その痕跡が残る場所にやって来ました。 長虹堤という…那覇と首里を結んだのは埋め立てやすい浅瀬の上に石垣を積み上げてつくった堤だったんです。 Thank you very much.「私が案内してあげます」という事ですね。 オールド那覇の港の一部は なんとアメリカ軍基地になっていました。
そんなオールド那覇の運命を変えたのは 太平洋戦争でした。 ♪「ブラ~タ〜モ〜リ」「那覇は2つある」という事で今まではオールド那覇を見てまいりまして今度はニュー那覇というとこにですね。 ここ 壺屋地区は琉球王国時代から300年以上の歴史を持つ…何ですかね? これ。 では 壺屋から始まった ニュー那覇はどのように広がりそれが 商店が ずっと…。 昭和23年那覇市が闇市を取り締まり移転させて出来たのが公設市場です。 この那覇の商店街なんですけれど…この商店街で生まれたんです。