いつか来る日のために「証言記録スペシャル 心の復興をめざして」

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この番組のまとめ

逃げて 早く!あの地震や 津波で亡くなった人はこれまでに1万5,000人以上。 最近も 福島県の浪江や南相馬それから 岩手県陸前高田宮城の気仙沼石巻と回ってきたんですね。 で できるだけ皆さんに健康の話をしたり地域包括ケアという人々を守ろうとする東日本大震災の地震と津波によって亡くなられた方は1万5,894人。 震災から1年 丹野さんはその悔しさを伝えようと宮城県七ヶ浜町に住んでいた…津波から逃げる途中祖母の手を離してしまいました。

でも 丹野さんが そこから一つ 乗り越えていくのに語り部になって二度と こういう不幸を他のお母さんたちに味わわせたくないと思った時に何か自分の役割が 見えてくるんじゃないかという気がしますよね。 生島さんご自身はその 震災直後妹さんご夫婦の行方が分からない状態で携帯 つながらない。 「いや 大切な事はまた他の人に伝えていきます」っていう事を言えばしゃべった方にとっても何か自分が一生懸命 つらい中でしゃべった事の意味があの日 心に負った大きな傷。

菊地さんは女性を助けられなかった事を長い間 後悔していました。 その後 菊地さんは目の前で救えなかったあの時の女性の家を訪ね家族に謝ります。 今日はVTRの中で証言して下さった菊地康宏さんに宮城県石巻市からお越し頂きました。 ただ まだ幸いに日没前だったので最初 助けに行く段階では薄暗い状態の中で。 で そのタイミングを逃したらもう二度と行けないというのは分かっていましたのでその時間が 私を突き動かしたっていうんですかね。 震災直後 たくさんの若い方がボランティアに 入ってきてくれました。

宮城県石巻市にあった精神科病院の恵愛病院。 宮城県気仙沼市の波路上杉ノ下地区。 市の避難場所に指定されていた杉ノ下高台が 津波に襲われここに避難した 60人近くが犠牲になりました。 しかしあの日 想定を超える津波が気仙沼市を襲います。 さあ スタジオにはVTRでご紹介しました宮城県気仙沼市の元職員で防災を担当されていました佐藤健一さんにお越し頂きました。 佐藤さんは その防災担当として気仙沼に 想像以上の津波がやって来て大変な被害が 出てしまって。

これから日本列島の いろんな所でもしかしたら 大変な事がもっと大変な事が起きるかもしれないという事で全国でお話をして 二度とこういう被害をなくそうとして一生懸命活動をなさっていますよね。 看護部長さんだった藤中さんがねまあ なかなか立ち直れなかったんだけど彼女は 介護施設に働きに行く事によって立ち直っていったじゃないですか。 その方は 一生懸命 今 働いてその 看護師さんとして。