1万8000人を超える死者・行方不明者が出た東日本大震災。 早速ご覧いただきましょうまずは青森県、岩手県の16の市町村です。 青森県三沢市では高さ7mの津波が漁港を襲いました。 漁港の復旧は終わり水揚げも、ほぼ震災前の水準に回復しています。 久慈市では国の石油備蓄基地が浸水し原油が流出しました。 津波に襲われたうえプロパンガスの爆発などによる火災が2日間続き中心部は焼失しました。 浸水域は居住禁止とし陸前高田市では岩手県内で最大1700人以上の死者・行方不明者が出ました。
はるな愛さんも震災直後から支援なさってらっしゃいますけどはるなさん、今のVTRどういうふうにご覧になられましたか?やっぱり5年で復興を、みずから待ってても始まらないっていう人たちは復興を自分たちの手で進めていこうという人たちは前向きに頑張っていらっしゃってそれでもやっと今からスタートだっていう方もいらっしゃったと私も毎月、仮設にお邪魔してていろいろ聞いたら、やっぱり仮設に残っている人は3年以降、諦めたって先ほどもインタビューであったと思うんですけどやっぱり、先の将来が見えないという不安に駆られてる現状があ
被災地で最も多い3700人の死者・行方不明者が出た、石巻市。 石巻市河北町の大川小学校では74人の児童と教職員など10人が犠牲となりました。 石巻市雄勝町では住宅の8割が全半壊。 日本一の生産量を誇っていた硯はおととし作業場が再建されました。 現在、港にある商業施設から買い物客が避難するための通路が建設されています。 浸水域で住宅を再建するため堤防が9kmにわたって崩壊した岩沼市。 町内3か所に大規模なイチゴの生産施設通称・イチゴ団地が整備されました。
福島県新地町では沿岸部の集落が津波に襲われました。 その漁港では現在水産関連施設の整備がしかし、肝心の漁のほうは原発事故の影響で今も週に1~2回の試験操業が続いています。 区の全住民1万人が沿岸部に今も津波の傷痕が残る浪江町です。 その実現に向け、現在除染や傷んだ家屋の解体が福島大学の学生が2人ずつ、3か月交代で仮設住宅に泊まり込み住民と交流しています。 ♪~東京電力福島第一原発の5号機と6号機がある双葉町。 広い範囲が帰還困難区域で1万1000人の住民全員が復興の拠点にする方針です。
2年前国の避難指示が解除された田村市都路町です。 震災前の86%にあたる2600人が帰還しています。 村の判断で住民全員が避難した川内村。 現在、震災前の6割1800人が帰還しています。 しかし、戻った住民は震災前の半分ほど。 役場の敷地内に今月、ショッピングセンターが働く場を作ることで住民の帰還を促そうと町が誘致したものです。 いわき市では、震災前に比べ取り扱い金額が見せる課では消費者と生産者をつなぐイベントにも力を入れています。
一時、風評被害がありましたが現在、売り上げは震災前の8割にまで回復しています。 現在、ビーチでは護岸を造る工事が鉾田市では震度6強の地震により隣町とをつなぐ橋が崩落。 旭市の飯岡地区では地震から2時間半後に高さ8mの津波が押し寄せました。