そしてイナサは吹き続ける~風寄せる集落の11年〜

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この番組のまとめ

荒浜で7代続く農家佐藤利幸さんと妻 まさ子さんです。 波男さんが自宅を建てる仙台市の防災集団移転用地です。 仲間と一緒に船を出したのは波男さんの幼なじみ佐藤吉男さん 81歳。 吉男さんは今も 毎日 海の仕事のため仮設住宅から 荒浜の自宅跡に通い続けています。 荒浜は災害危険区域となり住む事はできません。 生活の場は仮設住宅に変わりましたが漁に出かけるのも帰ってくるのも家の跡に建てた作業小屋です。 吉男さんは自力で新しい我が家を造ろうと荒浜に近い土地を探しています。

まあ みんな…みんな頑張ってるから仮設住宅を離れる事に戸惑う人も少なくありません。 これから…舘山さんは この4年一日の大半を仮設住宅の集会所で過ごしてきました。 住民が少なくなる中 仮設住宅の町内会の解散が決まりこれが最後の草刈りになります。 津波のあと使われなくなった荒浜小学校です。 名実ともに閉じる事になった荒浜小学校。 5年前 校舎は荒浜で唯一 津波に耐え300人余りの人々を救いました。 仮設住宅は手狭なため 漁師仕事をできる場所がありません。 仮設住宅での暮らしは震災後5年の秋が期限。

去年 スイカ失敗しちゃったんでその再挑戦で。 スイカ トマト メロンなど10種類以上を販売まで任されています。 休憩時間にも ベテランたちから油断のできない ひと言が。 漁師の松木波男さんです。 漁師の吉男さんの作業場。 孫の眞優子さんは 会社勤め。 吉男さんを乗せ 海を走るため船の運転免許を取ろうとしています。 そこで 何か 鬼ごっこだの6年生の眞優子さん。 家から浜に抜ける道には眞優子さんのお気に入りの場所がありました。 荒浜から5キロほど内陸の復興公営住宅。 貞山堀に荒浜の人々が集まります。

荒浜から仮設に移り一層深まった つながり。 荒浜小学校を舞台に繰り広げられる地区対抗の大運動会です。 地区ごとに 町を練り歩き荒浜小学校を目指します。 去年秋 伝統の大運動会は近くの小学校に場所を借りて開かれました。 頑張れタカヒロ!あ~!オトセ 頑張れ~!こら ケンタロウ! 速く走れ!ご家族で?今回で最後にする事になりました。 よいしょ よいしょ!敵味方なく健闘をたたえ合うフォークダンスで幕を閉じる大運動会です。 東通仮設住宅。 波男さんと同じ集団移転地へ。

新しい荒浜が少しずつ出来上がっていきます。 荒浜小学校の閉校まで残り3か月となった 去年暮れ。 この日 荒浜のお年寄りたちが授業に招かれました。 おはようございます!おはようございます!披露されたのは子どもたち手作りの荒浜カルタ。 「ラジオを持って 情報キャッチこれで安心 荒浜探検」。 僕が描いた絵だし安全に荒浜探検に行けるんだよっていうそういう札だったからです。 しかし年ごとにたくさんの白鳥が荒浜に戻ってくるようになりました。 東通仮設住宅は2016年の秋をめどに閉鎖が決まりました。