♪「朝の空を見上げて」♪「明日 頑張ろう」工場の棚の上から石油缶が落ちてきてそれが 運悪う 雁助さんの頭にぶつかってしもたて…。 ほんまだすか?「伊藤博文閣下のお口添えにより人脈が広がっていきましたのやなぁ。 板垣退助様や渋沢栄一様にもお会いしてくるて書いてあります。 はい!先日 お手紙差し上げさしてもらいましたうち 加野屋の…。 なんぼ 一部で女子教育の機運が高まってきたゆうても加野屋は苦境を乗り越えたばかり。
ん?前から 経営助けてほしい言うて頼まれてたあの生命保険の会社買い取ってみよか思てますのや。 そのころ 和歌山では養之助は 二十歳となり幼なじみの節との結婚が正式に決まりましたほいで あれは どやったんよ?徴兵検査だしたら甲種合格だした。 その生命保険ゆうのは確か名古屋の会社だしたなぁ?そうだす。 それで うちに助けてほしいいう訳だすな?保険会社は 働く者の一家を助ける事のできる社会的にも意義のある事業だす。
それほど寄付が集まらないのなら一度 大学校設立は断念し高等女学校から始める案を検討したら どうかと。 季節は変わり養之助の結婚式が行われましたすまんよ。 養之助君宛じょ。 新兵証書と違いますのか?兵隊に行くゆう事か…。 そして あさと はつの父今井忠興が亡くなりました最期までよう お世話してくれはりましてほんま おおきにありがとうございました。 先生の熱意が渋沢様 動かしましたんやなぁ。 加野銀行がバックについているなら創立委員の会計取締りをしてもいいとまで言って下さった。