熊本城の事なら何でも知っています。 ご存じのとおり…熊本城を400年前に築いた戦国時代の武将 加藤清正。 豊臣秀吉の家臣として活躍し虎退治でも有名。 「熊本城は“やりすぎ城”」。 やたらと やりすぎて変態的だという。 変態防護マニア。 防御を変態的に追究した人なんですね。 毎年150万人以上が訪れる熊本が誇る観光名所です。 タモリさんが ブラブラ歩いて解き明かします。 国内有数の規模を誇るんです。 この先は うかつに近づけば全滅を免れないデンジャラスゾーンなんです。
この通路 その名も…暗闇で待ち伏せして敵を攻撃する当時 大変珍しい守りの仕掛けでした。 天守内部の図面です。 これ カタカナですか?カタカナですね。 空中セッチン。 「空中セッチン」と呼んでます。 一体 どうなっているのか?早速 空中セッチンを見にいきましょう。 鹿児島 誰だ?島津!肥後国 熊本の南には薩摩国がありました。 戦国時代 島津の強さは全国に鳴り響いていました。 タモリさんの推測どおり清正は島津を警戒して南側の守りを手厚くしていたんです。
古文書から熊本の歴史を研究している 稲葉継陽さん。 江戸時代の城下町にとっても詳しいんです。 熊本って タヌキなんだ。 それにしてもせんば山って何でしょう?その痕跡を探しに新町の西の端にある鉄道の高架下にやって来ました。 じゃ その江戸時代の地図を。 清正は 新町の南側を囲んで守りを固めていたんです。 熊本城が初めて戦いの舞台となったのは明治10年の西南戦争でした。 その時 熊本城は西郷隆盛が率いる薩摩の軍勢の激しい攻撃に遭っても陥落する事はなかったんです。