高校生離れしたピッチングで甲子園を沸かせました。 そのピッチングを支えていたのがドカベンこと…「黄金バッテリーの真っ向勝負」をひもといていきます。 2人は 本当に 甲子園でもね強烈な印象を残したバッテリーだと思うんですけどその2人のですね 甲子園の成績ちょっと見てみましょう。 1979年の センバツ高校野球大会。 牛島 香川のバッテリーを擁する浪商は優勝を目指していました。 1961年夏の大会で怪童 尾崎を擁し全国制覇を果たして以来甲子園への出場も減っていました。
名将 尾藤監督に率いられ緻密な野球で 決勝まで勝ち上がってきていました。 1回表浪商はヒットとフォアボールで1塁2塁。 先制のチャンスに打席には4番の香川選手。 その裏 準決勝までの4試合で550球以上を投げていた牛島投手。 続く6回表 浪商の攻撃は4番 香川選手から。 香川選手のプレーから試合の流れが変わり4対4で終盤へと入っていきます。 何か 例えば ピンチの時にね香川さんが マウンド来て言葉かけるとかそういうのはなかったですか?いや~ なかったですね。
どうする? どうする 牛島!?監督は香川選手にも伝令を出します。 牛島 香川のバッテリーは夏の大会でも浪商を18年ぶりの甲子園に導きベスト4の成績を残しました。 香川とバッテリー組めた事によってやっぱり いろいろ勉強したし 努力もしましたしお互いにライバルと思って負けたくないと思った事がお互いを伸ばしていっていい結果 出してきたかも分かんないですね。