♪~石けんの原料となった菜の花畑の広がる…東京電力福島第一原子力発電所の北に位置する南相馬市。 復興サポーターには 長年環境問題などに取り組んできた分子生物学者の河田昌東さんを招きました。 番組放送のあと南相馬で菜種の栽培を始めた…風評被害に苦しむ コメを諦め田んぼに 菜種を植えました。 買い物をする場所もほとんどなく3月下旬 南相馬市で話し合いの場が持たれました。 菜種栽培を始めた 杉内さん。 杉内さんたちの菜種油をイギリス本社で作られた石けんの生地に加えます。
先月 杉内さんは避難指示が解除される予定の南相馬市小高区を訪ねました。 この5年 住む事が許されず耕作も放棄されてきた小高区。 杉内さんたちは避難指示が解除されたあとここを 菜の花でいっぱいにしたいと考えています。 避難指示の解除は住宅地の除染が 全て完了してから行われます。 除染が済んだ小高区の農地で住民ボランティアによる放射能の測定が行われていました。 仮設住宅から 小高区の自宅に車で度々通っている人がいました。 こちらは 小高区の駅前商店街。
これは 南相馬全体の分析のまとめなんですけども野菜によって 汚染しにくい野菜あるいは汚染しやすい野菜というのがあるという事が分かります。 この店を始めたメンバーの一人佐久間憲治さんです。 それが 地域の高齢者の見守りにもなっています。 高齢者の住む家は地域に点在しています。 す江さんが作る木綿豆腐は大豆の香りがして店一番の人気商品です。 沖縄本島の最北端 国頭村に住民が出資し 共同で経営する地域の店があると聞いたのです。 共同店の理事長糸満盛也さんです。
盛邦は ここで自分の店を営んでいましたが利益を独り占めするのではなく集落全体の共同経営にしようと思い立ちました。 地域のよりどころになっている「なんでもや」には沖縄の共同店の「自分たちの力で」という精神が受け継がれています。 共同店がその地域の求心力 中心でその解決策を まさに どんどん事業というか 形にしてこられた。 昭和30年代の奥共同店。 共同店は 自分の親みたいな存在だっていうそういう場所でした 共同店広場。
5年間ですね各ボランティアの方に助けられてつらい事も結構 助けられてきたんですがその時に 油菜ちゃんがどれだけ育っているかとあとは 今日のいろんな話がどれだけ発展してるかと是非また次のステップに成長する部分をまた お願いしたいというふうに思います。