水俣病からの救済を今なお求める人々です水俣病は 有機水銀が引き起こした中毒症状。 70年代になって公害問題 環境問題が社会的な関心事になり政治問題にもなってきた。 原因不明の奇病と恐れられ患者たちは いわれない差別に苦しめられます有機水銀が発生するおそれのあるアセトアルデヒドが含まれていました。 原因として アセトアルデヒド工場の排水が疑われました昭和43年 チッソはアセトアルデヒドの製造を終了。
生まれながらにして水俣病と闘わざるをえなかった胎児性患者の方々を取材した番組です。 半永一光さん母親の胎内にいる時にもっと自分の事を知ってほしい。 不知火海を望む高台に水俣市立 明水園があります。 半永一光さんは 昭和30年代々続いた漁師の家に生まれました。 水俣病 多発地区で昭和30年からの4年間で脳性まひの発生率は 実に9%。 昭和37年 初めて胎児性水俣病と認められました。 自分?自分自身?去年3月 水俣湾に広大な埋め立て地が出現しました。
去年12月5日全国5つの裁判所から相次いで和解勧告が出される中で歴代の環境庁長官としては11年ぶりに北川石松 環境庁長官が水俣を訪れました。 国内国外の専門家などおよそ70人が水俣湾埋め立て地や水俣病歴史考証館など5か所を見て回る事になっています。 あとは写真を運ぶばかりになった時熊本県の担当者が写真展に会場を貸すのは難しいと言っているという話が伝わってきました。 半永さんは海外から訪れている学者に視察を始めたばかりでもあり海外からの参加者にとって半永さんは初めて出会う水俣病患者でした。