NHKアーカイブス「チェルノブイリが語ること~原発事故30年の教訓〜」

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この番組のまとめ

事故後のチェルノブイリを記録し続けてきました。 大石さんは チェルノブイリの事故後3回にわたって現地を訪れて取材をされたんですね。 福島でね そういう事になって私たち チェルノブイリから何度も現地に足を運んで 取材を重ねていらっしゃいますけれども。 教訓という点で言いますと私は やっぱり チェルノブイリの教訓しっかり生かされていなかったなというふうに思うんですね。 1994年放送の「世界 わが心の旅チェルノブイリ 家族の肖像」です。

プリピャチの人々は 36時間の間放射能にさらされながら日常生活を続けた。 ワレリさんの一人娘 エフゲニーちゃんもその一人だ。 エフゲニーの甲状腺はやはり 少し腫れているがプリピャチの子にとって甲状腺の腫れなどは病気に入らないのだという。

汚染地区では自給自足の暮らしが続く。 そこで 事故から2か月後住民を一時退去させてから町は洗われ アスファルトで舗装された。 事故直後でさえ 同じ高レベル汚染地ホイニキとのサッカー試合がセットされいつもと変わらないブラーギンの姿がテレビで流れた。 チェルノブイリから200キロも離れているこの地域の汚染度は30キロ圏内と変わらない。 聞けば ソビエトの外務大臣を務めたグロムイコさんの ふるさとだという。 住人の名字は みんなグロムイコで村は グロムイキ村と呼ばれていた。

当時 まあ 放射線量なんかから見ればですね福島の事故は メルトダウンしてるのはほぼ間違いなかったんですけど東電 それから当時の政府は炉心損傷と言い続けたんですね。 それから 被ばく量がチェルノブイリと比べてもはるかに少ないんだという事で現段階ではですね「放射線の影響とは考えにくい」とは言ってるんですね。 日本や欧米諸国の資金援助を受け2年前 石棺を抜本的に補強するプロジェクトが作られました。 プロジェクトの主任技師を務めるワレンチン・ゴロビノフさん。

チェルノブイリでは放射線量が下がるまで更に100年待ち その間に 廃炉の方法を 摸索しようとしています。 チェルノブイリ原発事故から30年。 福島の場合はですねチェルノブイリと大きく違うのは廃炉の目標工程表はあるんですね。